暑い暑いと言われたこの夏に、北の大地にこだまする。言葉が歌が、琵琶がジャンベが、寺山が。
泣く子も黙る風蝕異人街である。しかも『青森県のせむし男』である。2015年夏、演劇シーズンにおいて初日を待たずに全ステージ前売り完売した伝説の芝居である。
それが2019年夏、帰ってきた。またしてもせむし男が、老いたる花嫁が、セーラー服の白塗り童女たちが、悲劇を語る半裸の男どもが、地の底から亡霊のようにわき上がる。
190万都市札幌の、令和をむさぼる老若男女を寒村青森の母子地獄に引きずりこみ、寺山世界へたたき込む。
2015年版はシアターZOOの地下深く降りた小屋での公演だった。その密閉された空間を血と汗と涙と言葉で満たし、客は寺山と風蝕の海におぼれた。
今年、場所をかでる2・7の大舞台に変えたことで、はたしてあの熱量で満たすことができるのか、言葉で、怨念で、陶酔させられるのか、不安があった。
だがしかし、それはまったくの杞憂であった。勢いを増した風蝕異人街のパワーの前にはむしろかでるの舞台は狭すぎた。
迫り来る赤い柵、揺れ動く女の顔、群れをなす男たち、どこか記憶の底から聞こえてくる水の音……かたわらではお面をつけた童女が戯れて、操られたように男が踊る。両脇からは琵琶、ジャンベの鼓動、音色。
2019年版『せむし男』は2015年の焼き直しではなかった。かなり、そうとう、別物と言っていいほどの進化を遂げていた。密度、迫力は増していながら、語り口や表現に緻密さを加え、より洗練された寺山を表現していた。
「洗練された寺山」と書くとまるで解毒され無菌化されたものだと思うかもしれないが違う。風蝕異人街は数十年にわたって寺山戯曲に取り組み、世界を磨きつづけ、ついに様式的美しさにまで達したのだ。
純度を増し結晶化されたものは得てして小さくなる。余分なものがなくなるからだ。だがここに、風蝕せむし男のすごさがある。密度を増しているのに巨大化しているのだ。
観終えて「きれいなものを観ましたわね」なんて感想にはならない。とんでもないものを観てしまい、にわかには言葉が出てこないような衝撃を受ける。いま観たものがいったいなんだったのか失語状態に陥る。
そうして、しばらくして、ようやく気がつくのだ。面白いとは、こういうことなのだと。
そのとき、まわりを見てほしい。あなたはいつのまにか寒々とした田舎の村に立っているだろう。陰から白塗りの少女が覗いていないか? 藪の中からせむしの男が笑っていないか? 血脈と怨念、愛憎と淫虐にまみれた土地、そこは……
公演場所:かでる2・7
公演期間:2019年8月10日~8月17日
初出:札幌演劇シーズン2019夏「ゲキカン!」
text by 島崎町