熱演が光ったお芝居だったが クラアク芸術堂『クレナイの街』

都会に出た青年が都会の輝きを見て、自分のふるさとは「サルの町」だと嘆く。この「サルの町」を都会のように輝かせたいと願い、長じて市長になった青年は工場を誘致する。この誘致によって町も住民も裕福になる。旅芸人が立ち寄るほど賑わいを見せる町になり、「日が暮れない街」のごとくに輝いた日々を送っていた。

しかしあるとき、住民が原因不明の病気になり死者が出るようになる。ある者は「海の怒りだ」といい、それがデマとして流布する。そのとき海は真っ赤に燃えるような色合いに染まる。医師が調べても人体には何も変化は見られない。連邦政府は市を隔離するために住民の移動を禁止する。

しょぼくれた生活を送っていた弁護士は、その病気は海の怒りでもなく、伝染病でもないと考え行動を起こす。そして住民が罹患した病気は工場排水によって引き起こされたのではないかと疑う。しかし、サルの町をクレナイの町に変えた市長は「断じてそんなことはない」と聞く耳を持たない。「ひとたび何か起こると『住民は何もしてクレナイ』というじゃないか」と逆ギレする市長。その一方で、ネコと呼ばれた旅芸人が死に、漁師は自分が捕った魚が原因ではないといいながら命を落とす。「暮れない街」は「明けないの街」へと壊滅状態になる。

やがて、友人である医師とともに、脳に微量の有害物質が残留していたことを突き止めた弁護士。それと同時に、それまで市長のいいなりだった秘書は市長の隠蔽工作の数々を弁護士に伝える。時あたかも市長選。市長の不正を知った住民は、市長の傲慢さを批判して市長秘書を新市長に選出する。弁護士とともに原因究明に当たった医師も、解決の道筋が付いたところで発病する。
住民の移動禁止措置が解かれた後、市長選に敗れた市長(自身も罹患した)はクレナイの町から逃走する。5年ほどの月日が流れ、死を免れて町に戻ってきた市長を待っていたものは…。

ストーリーの骨格を書けば上記のようになるが、メインストーリーに絡むサブストーリーがあり、サブストーリーごとに中心となる人物がいて、これらが綾織りのように絡む。たとえば、弁護士一家の苦悩に満ちた生活、市長とその娘、記者とその娘に秘められた出生の秘密は、メインストーリーとは別の人間模様を描く。

役者さんが、全員光っていた。小生が好きな役者である信山E紘基が市長役、そしてもう一人好きな役者である学生演劇出身の有田哲が弁護士役。信山と有田の台詞回しは安定感があり、感情を高ぶらせた言葉のやりとりは緊迫感があった。市長の娘で議会議長に佳猫まいか、市長秘書に山木眞綾。弁護士と幼なじみの医師に脇田唯、刑事に田邊幸代。一癖ある工場長に中村雷太、工員に檜山真理世。この工員と結婚する漁師に伊達昌俊。市長に寄り添うような記事を書く記者に宮森峻也。先輩芸人に高橋寿樹、後輩芸人に佐藤里紗(佐藤は教師役も兼務)。総勢13名が登場し、これがそれぞれに絡み合っているのだから濃い人間模様が展開されたことはいうまでもない。登場人物ごとにキャラクターがはっきりしていたので、全体を通して「込み入った」印象は受けなかった。個人的には、有田と同じ学生演劇出身の宮森峻也のお芝居は好きだったし今回も苦悩する役どころをうまく演じていた。個人的な好みでいえば、議会議長役の佳猫まいかかな。(笑)

先にも書いたが、全員光る演技をしていたし、全員台詞回しがステキだったので、安心して見続けることができた。
サンピアザ劇場に設えた舞台装置も重厚感があり、丁寧に作り込んだことがうかがわれた。しかも照明も臨場感を醸し出していて素晴らしかった。

しかし、である。
「工場誘致」、「原因不明の病気」、「(比喩的に)ネコの死」「海辺での魚中心の食事」、「市長の強弁」と揃えれば、我々の世代では水俣病を想像する。そして水俣といえば、座・れらの「不知火の燃ゆ」だ。舞台設定こそ違っていたが、内容的には「不知火の燃ゆ」を連想させることが気になりストーリーそれ自体にはのめり込めなかった。うまい役者さんを揃え、一人一人が絡み合う人間関係をものの見事に演じていただけに残念だった。

とはいえ、水俣病を知らない世代、「不知火の燃ゆ」を観ていない観客にとっては大いに楽しめたのではないだろうか。それだけしっかりした作品だったことは間違いない。

上演時間:2時間
2019年8月24日14時
サンピアザ劇場で観劇

text by 熊喰人(ゲスト投稿)

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