寺山は令和をどう詠うのか 劇団風蝕異人街『青森県のせむし男』

  手のひらに百遍母の名を書かば 生くる卒塔婆の手とならぬかな

「身毒丸」の幕開けを飾る一節と、不世出の天才歌詩人にして劇作家でもあった寺山修司が生涯を通して創作のモチーフにした愛憎半ばする「母」の絵が大幕にあった。奇しくも道立近代美術館で開催されているカラヴァッジォの代表作のひとつ、「蛇の聖母」のマリアのように暗く輝いていた。小屋に入ると、もうそこは異世界なのだ。これぞ舞台の醍醐味。
客席521のかでるホールでの8公演は、さすがに集客がしんどいと思ったけれど、レパートリー作品としての上演に相応しい力作で寺山ワールドを堪能することができた。寺山作品をこのレベルで上演することのできる劇団、演じることのできる役者たちが札幌にいることを誇りに思った。
ゲキカン!でこの「青森県のせむし男」のあらすじを書くことに大きな意味はないと思う。理屈で共有できない、届くことのない深さへ手を差し伸べることが劇なのだろうし、自分ではない人生を「虚構」の世界に落とし込み、観客をここではない何処かへ連れていくことが役者や演出家の役割だと思う。風蝕異人街は札幌演劇シーンにあって特異点といえる劇団である。看板女優の三木美智代、堀きよ美はじめ、役者たちの強靭な身体性、浪々とした台詞術。本公演で、演出のこしばきこうは、凝った舞台美術の中で群像を動かすにあたって、かなり舞踏に寄せた印象があった。現れるだけで舞台を支配する三木や堀の存在感は言うまでもないが、母の墓を背に肉塊として生まれてきた母恋のせむし男、大正松吉(三木)に恋慕する女学生を演じた柴田詠子(ミュージカルユニットもえぎ色の国門紋朱とダブルキャスト)が個人的には特筆すべき収穫だった。男女の情念に満ちた妖しく美しい寺山の膨大なテキストを見事な立て台詞で吐き切る技量。どこか着丈のおかしなスカートに爪を立てるように握りしめ、照明に白い太腿をさらす姿に、正直僕は酔ってしまった。終演後、三木に聞けば舞台は初めてだそうだ。柴田は舞踏学、身体表現を専門分野とする現役の札幌大学助教だ(特別授業の様子はYouTubeで見ることができる)。舞踏学会というものがあることも初めて知った。風蝕異人街には風蝕ダンス部なるものがあるが、鍛えられた身体で舞台を歌うように舞う“ダンサー”たちの振付も柴田と三木の手になるものだ。
昨年は寺山の没後35年だった。僕は芝居ではないが、生寺山をテレビで見ている世代である。DVやネグレクトで我が子を殺める母、30年間引きこもり散髪も行かず伸び切ったままの息子の髪を切る老いた母のいる平成、そしてこの令和の時代。戦中、戦後の昭和を生きた寺山は、この2019年をどのように詠うのだろうか。

2019/08/13  19:30

かでる2・7かでるホール

札幌演劇シーズン2019-夏 劇団風蝕異人街『青森県のせむし男』ゲキカン!から転載

text by しのぴー

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