日常の中の非日常のおかしさ BLOCH PRESENTS『野村大ひとり芝居傑作選』

僕、結構好きなタイプです。この人。このお芝居。この世界観。

優れた演劇を再演する札幌演劇シーズンのゲキカン!を担当させていただいて、それなりの年数になるけれど、まったく「初見」のお芝居だった。そもそも、野村大という演劇人と未知との遭遇だったのだ。これはぬかった。野村大の演劇人としての長いキャリアについては、札幌演劇シーズンやd-sapのウェブサイトでぜひ読んで下さい。結構なベテランです。
ひとり芝居といえば、ザ・演劇人としての柄本明を堪能できる「授業」(イヨネスコ作)や「煙草の害について」(チェーホフ作)、白石加代子の「百物語」、タイプは違うかもしれないけれど、楠美津香の超訳シェイクスピア劇を思い出す。アメリカでいうスタンダップコメディとも違う。僕がこれまで観てきた演劇の引き出しにないものだった。
僕はドラマ同様、劇とは人間の他者や外界、世界との関係性を描くものだと思っているので、正直、食わず嫌いというか、ひとり芝居に興味が持てなかった。柄本だから、白石だから、楠だから、その役者の身体性や、俳優が我が身のすべてを投げ出すナラティブに惹かれて観に行っていたのだと思う。野村のつくる劇的空間もまた、そうした中毒性があった。15年もやっているんですよ、お一人で。
役者として舞台の上で「普通」でいることは結構難しいと思っているので、尋常ではない「普通の人」感たっぷりの佇まいがいい。「とても誠実そうだし、ご家庭もお子さんもあって、仕事もしながら大好きな演劇を『ひとり芝居』という一番孤独な戦場を選んでやっているんだよね、きっと」と、思わずだまされるところだった。お芝居をやっている人たちは、大なり小なり鼻持ちならないエゴイストで、舞台から観客を見下ろしている、と僕は思う。つまり、世間様をかぶいている人たちなのだ。演劇関係者の皆さん、すいません。僕、100%、褒めてますから。だから僕は演劇という表現を尊敬しているし、役者が好きだし、突如舞台と客席の間に立ち上る一期一会の劇的空間を愛してやまないのだと思う。野村のひとり芝居も、その演劇の一部なんだと、正直結構感動したのだ。
僕が観た回はAプログラムで、「Baby,I Love You.」「西園寺」「四十四年後の証明」と、関西から客演の三田村啓示をintroのイトウワカナが演出した「アンクル・メジャー・コード」の4本立て。作・演出はツマサキ舞台とあるけれども、そういう体で分けているもの面白い。いずれも練られたストーリーとテキストで、観終わってほっこりした体温を残してくれる。伏線はこれは伏線ですよね、と想像できたのだけれど、おっとやっぱりそういう風に回収しますか、と唸らせる。物語自体が芸風である。気持ちよく回収されました、ありがとう。といえばいいのだろうか。個人的には「西園寺」のナンセンスさが好きだけれど、日常の中から非日常が飛び出し、ブーメランのように見事に日常に焦点を結ぶ「Baby,I Love You.」と「四十四年後の証明」の鏡の裏表のような終わらせ方が印象的だった。「アンクル・メジャー・コード」は野村が演じたらまったく別の劇になったと思うけれども、役者力押しでエッジのついた演出を仕掛けたイトウの力量も素晴らしかった。オリジナルの振り幅の強さがとても生きたと思う。
本を書き、自身で演出をつけ、自ら、場合によっては観客の反応でダメ出しをしながら演じ、演じ続けることで円熟していく見事なストーリーテラー。恐れ入りました。劇の半分は観客のものである。観客の想像力の中で劇はより深くなる。そんな芝居を久しぶりに見つけた気がした。演劇シーズンに送り出してくれたBLOCHさんにも感謝。誰かと無性にアフターシアターをしたくなったことを告白しておきたい。次回は、ぜひコンプリートさせて下さい。

2019/08/08  19:30

BLOCH

札幌演劇シーズン2019-夏 BLOCH PRESENTS『野村大ひとり芝居傑作選』ゲキカン!より転載

text by しのぴー

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