山田太一が描く終わらない“戦後” 劇団新劇場『二人の長い影』

また、あの夏がまもなく巡ってくる。日本人にとって8月15日は、戦後74年たった今もなお重い意味を持つと思う。政府の行事は別にしても、甲子園の球児たちはその日の正午、試合を中断して1分間の黙とうをささげる。アルプススタンドの観客も、この瞬間は起立して黙とうする。考えてみれば一年に一回だけかもしれないけれど、そんな日があることに、平成から令和に変わっても終わらない戦後がある(個人的には「戦後という言い方はそろそろいいのではないか」という考えには賛成しない)。
来年93歳になる僕の父もそうだけれど、戦争を生き延びた人たちもすでにかなりの高齢者となり、「戦争を知らない子どもたち」ではなく、戦争についてまったく想像力を持てない世代はますます増えていくだろう。2019年を生きる僕たちにとって切実なことは、社会格差や世代やコミュニティの分断であり、貧困であり、DVやネグレクトで幼い子どもたちを死なせる親たちであり、一向になくならないいじめや差別なのだ。
僕は演劇の大きな役割のひとつは、時代の中でナラティブに語り、伝えることだと思っている。この作品を観終わって、戦争の惨さや非人間性についての語り部であろうとすることも、その役割だと深い読後感があった。
引揚者というと、北海道では樺太(現在のロシアサハリン州)や満州をイメージしてしまうけれど、朝鮮半島は1910年から1945年まで日本に併合されたので、朝鮮半島北部にも大勢の日本人が住んでいた。中立条約を一方的に破棄して、侵攻してきたソ連軍と朝鮮の人々との間に置かれた人たちの逃避行の過酷さは正直想像もできない。西洋史では、1527年に神聖ローマ帝国のカール5世指揮下の西ゴート族の傭兵軍が、当時教皇領だったローマを襲い、殺戮・強奪・破壊・強姦の限りを尽くした「ローマ劫掠(ごうりゃく)」は、今でもヨーロッパの人々に記憶されていると聞いたことがある。ソ連軍の規律はひどかったようで、16世紀並みの蛮行が横行していた。こういうことは歴史の正史には登場しない。久美子(斉藤和子)のような語り部を通して語り継いでいかなければならないのだと思う。戦争が究極の暴力であり、人間性をはぎ取ってしまう狂気であることを。
戯曲を書いた山田太一は特にテレビドラマに関わったものとしては、ほぼ神様のような存在である。人間を描かせたらならば山田の右に出る作家はいないだろう。この「二人の長い影」の初演は2003年、劇団民芸のために書き下ろしたものである。主演の南風洋子(故人)は満州からの引き揚げ経験のある女優だった。僕は戯曲作家としての山田を知らなくて、ウィキで調べたのだけれど20本は書いている(地人会、劇団民芸、俳優座)。戯曲集も出版されているので今度読んでみようと思った。1960年代からシナリオ作家として活躍している山田にとって演劇のための戯曲は、1980年代から手掛け始めた創作のようである。練達の山田には申し訳ないけれども、僕は、暗転の多い、回想の多い、説明台詞の多い芝居がとても苦手である。この作品も残念ながら劇的な想像力をたびたび遮られて、作品世界に浸ることはできなかった。人物の心象もつながっているとは言えないところもあった。抑揚の少ない台詞立ても僕の苦手とするところで、この点はゲキカン!担当としては適任ではなかったことはお詫びしておきたい。
物語は実に唐突に始まる。僕には、久美子がなぜ突然あの戦争の経験を書けない、と決然と言い放つ文脈がわからなかった。久美子の初恋の人で、3年前に妻に死なれ脳梗塞で右手が不自由となり、孤独に暮らしている坂崎真吾(山根三男)が、「死ぬ前に一度だけ会いたい」とこれもまた突然電話してくるのかもわからなかった。そもそも、真吾はどうして久美子の自宅の電話番号を知ったのだろうか。そののち、久美子が孫の真理(Aチームは高坂綾乃)には、初恋物語として能弁に話せるのはどうしてだろうか。朝鮮半島北部、ソ満国境の街、慶興で戦争末期、久美子が真吾と出会い、恋に落ち、離れ離れになった後、父母をソ連軍に殺され、必死の逃避行の末(朝鮮北部から命からがら38度線を超えた人々は20万人に上るそうだ)アメリカ軍に保護されるも、直後に弟を亡くしてしまう。
物語は青春時代を無残に蹂躙され辛酸の限りをなめた久美子に濃密であり、真吾には薄い。むしろ、久美子の夫、小林栄一(Aキャストは鹿角優一。鹿角は好演)との間に、墓場まで持っていくと覚悟した秘密があることが示唆される。僕は、途中で、この物語は究極の中で出会った男女の初恋の後日談ではないかと感じ始めた。そして勝手に想像した。久美子には夫を裏切ろうとした瞬間があるのではないだろうかと。そして、それが真吾の妻をして「あの人の中には別の女性(ひと)がいる」と生涯言わしめたのではないだろうかと。
シベリアに抑留され生死も分からない真吾を久美子は7年も待ち続けた。区切りをつけるように栄一と結婚し、子どもも生まれた。そんな頃、最後の引き揚げ者として帰国した真吾(玉田裕太)と再会する。久美子(栗原聡美)は思わず真吾の胸に飛び込み強く抱きしめる。多分、久美子は一瞬、夫も幼子も捨てて真吾と一緒になりたいと願ったのだ。その刹那の純粋な気持ちは久美子にとって、生涯の「秘密」となった。肉体関係はなくとも、いやないからこそ、男女としてくちづけを交わしたこの日のことは二人にとって永遠の瞬間になった。このシークエンスの芝居は強い劇的想像力に満ち、実に効いている。衝動に駆られ激しく真吾を求める久美子は切ない(栗原は熱演)。だからこそ、真吾は死ぬ前に一目久美子に会いたいと願い、逆に久美子は思いとどまるを得なかった。
終幕に近づくほど、山田はこの物語をどうやって回収するのだろうと半ば意地悪に考えていたが、最後は山田太一ワールドの真骨頂だった。あんな台詞を書ける作家は他にはいないだろう。色気のある味わい深い余韻を残した役者たちの芝居も素晴らしかった。
劇団新劇場は、今年創立59年だそうだ。60年近く続く劇団は地方都市では、そうあるものではないと思う。確かにイマドキの芝居ではないかもしれない。でも、年齢を積み重ねてきた劇団としてのナラティブがあり、円熟の役者たちが発する人生への洞察の深さや愛おしさが舞台を温かく照らしていた。

 

2019/07/29  19:00

ターミナルプラザことにパトス

札幌演劇シーズン2019-夏 劇団新劇場『二人の長い影』ゲキカン!より転載

text by しのぴー

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