アイヌの人たちは日本人じゃない?  妖怪大縁会『妖怪百歌物語~ホロケウカムイ篇~』

作・演出 鷲頭環さん。

 

アイヌの血を引くことが原因で、女性が勤めていた介護施設の社長や同僚、介護を受ける側の人からも差別を受ける物語。

 

劇中歌は物語の流れに合うものと合わないものがあるように感じた。音楽班のメンバーも充実しているようなのでインストを多くしてみたら良いのでは?なんて思いました。二人一組で演じられた蜘蛛の女神では、顔の見えない方の禍々しい動きは強烈でした・・・・・。

 

歴史の見方は難しいと改めて思った。

「彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

1951年、マッカーサーがアメリカ上院軍事外交合同委員会でした発言です。日本は侵略戦争をしたという見方しか知らない人が読んだら、あのマッカーサーが何故そう発言したのかさっぱり分からないでしょう。(小堀桂一郎 編『東京裁判 日本の弁明』講談社学術文庫 を読んでみてね)

 

同じようにアイヌの人たちと和人との歴史も、単純な見方ができるものではないと思う。

観劇前にボクが読んだのは、アイヌである砂沢クラさんの著作『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』です。

その本では幼いころの父やその兄弟たちに和人の役人が「教育を受けさせたい」と言ったのに母親が断ったことを残念に思う話や、「勉強することができたならアイヌの物語を書き残すことが出来たのに」と女学校に行けずに残念がるクラさんの思いが書かれています。

だから劇中で「和人がアイヌの言葉を奪った」と言われると「おや?」と思ってしまいました。日曜学校や尋常小学校に通った経験があるクラさんは、アイヌ学校を作るべきではなかったと言います。なぜなら授業で和人の言葉を教わっても昼休みになるとアイヌ語で会話するので言葉使いが直らないと言うのです。そんな話を読んでいたせいか違和感を持ちながらの観劇が続きました。そしてクライマックスでね、思わず泣いちゃいました。

 

「アイヌは日本人じゃない!」って言ったのです。差別の場面で。その言葉をどのように否定するかと思ったら、回収されることもなく上演は終わってしまいました。クラさんがこの作品を観たら悲しむんじゃないかと思って、堪えきれず泣いてしまった・・・。

クラさんはアイヌの人たちこそ本当の日本人であるとの考えを持っていました。大昔は大勢のアイヌの人たちが日本中に住んでいて、アイヌと外国から渡ってきた人たちの混血によって和人になったと。ボクはアイヌの人たちが日本人であると当然のように思っていましたし、クラさんの考えが正しいかどうかは別として、和人に色々な人種の血が混ざっていることは間違いないと思っています。アイヌの人たちも日本人。和人も日本人。だからね、アイヌの人たちは日本人じゃないと言われたら胸が痛くてね、泣いちゃったんですよ。(亡き父にもアイヌの友人がいたからね)

 

ボクがインターネットを使える環境になってから20年たっていません。その前は調べものをするのに百科事典を使ったりもしました。ボクが持っている平凡社の『世界大百科事典』は1964年初版の1968年第10刷。アイヌを調べると、自身がアイヌである知里真志保氏が「アイヌ系日本人」という言葉を使っています。最近ではパキスタン系日本人の方が職務質問で悔しい思いをされたことも話題になっていました。○○系アメリカ人というように○○系とは普通に使われる表現だと思いますし、これからの日本ではどんどん使われるべき表現だと思います。先程書いたように和人には色々な人種の血が流れているでしょう。ボクも冗談ではなく「○○系日本人です」と言ってみたいのです。でも残念ながら辿ることが出来ない。辿ることが出来たなら、劇中歌を歌われた豊川容子さんが「アイヌの血を誇りに思う」ように、今までとは違った誇りを持つことが出来るのかもしれない。そんなことをボクは考えてしまうのです。

 

クラさんは和人の批判も沢山しています。(アイヌの人たちに対してもですが)

是非、思考の材料の一つとして読んでいただきたいです。

 

2019113日(日)1700 生活支援型文化施設コンカリーニョにて観劇

 

text by S・T

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