作・演出 高橋正子さん。
老舗の民宿を営む主人公。義弟の再婚を応援したり、疎遠になっていた結婚前の娘が妊娠しちゃったりする物語。
役者紹介無しで静かに始まり、驚いたのはモノローグ無しだったこと。
主人公が回想シーンで一人芝居はするが、説明をするためのモノローグを一切使うことなく会話劇を成立させた。高橋さんの力量を感じる。また、舞台装置の配置バランスが絶妙。表現が適切かどうか分からないが、かつてない臨場感。テーブル・人物・ソファー・人物・壁、それぞれの重なりや距離感から生まれる数々のシーンに美しさを感じた。
空間の枠組みをきっちり固定することで、よけいなところに観客の想像力を使わせない物語の作り方。役者が背中を見せることが多めだったと思うが観客の想像力は役者の表情と、一人芝居における見えない相手の動きや聞こえてくることのない台詞を想像させることに使われる。上手いと思った。
映画『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波さん。ほんのちょっと演技が大げさかな?と思って観ていると終盤の種明かしで納得させられたことがあった。絶妙。同じことを娘役の竹道光希さんの演技で感じた。
妊娠しちゃったこと、相手が収入の安定していないフリーのカメラマンということ。関係がうまくいっていない両親を抑え込むには祖母を味方にする必要がある。しかし一番に報告したい祖母は入院中。自分の息子が分からないほどの認知症だという・・・。
ショックなのは分かる。だがショックを受けすぎでは?と感じた。自分が家を出るときには症状が出始めていたようだし、その後の精神の不安定さも「妊娠しているにしてもなぁ」という感じ。しかし、妊娠していることが両親にばれてしまったときの「職場の人も友達も妊娠を喜んでくれなかった。おばあちゃんなら喜んでくれると思った!」という叫び。自分を誰よりも可愛がってくれた祖母。妊娠を絶対喜んでくれると思っていた祖母。その祖母が重度の認知症。喜んでくれる人は誰もいない。その絶望感たるや!あの表情やいらだちは絶望感が形を変えて表れたものだったのだ。作・演出の高橋さん、演じきった竹道さんに感服いたしました。
娘の気持ちを理解したことで物語はハッピーエンドに向かっていくが、祖母が認知症にならなければ娘の気持ちを両親は知ることが無かったという逆説が人生の不思議さを感じさせる。(認知症になって良かったと言っているわけではありませんので)
賢い妻にそれとなく促され(男は女に敵わないなぁ)、入院中の母に電話をする主人公。
「わたし、おじいちゃんになりまして・・・」
自分を息子だと分からなくても新しく関係を築いていけばいい。言葉にすることが苦手な主人公の静かな決意がうかがえ、涙を誘った。
「同じ轍(てつ)を踏む」という表現があるが、タイトルの『わだちを踏むように』との表現には他者の人生に対するあたたかな眼差しを感じさせる。パンフレットには高橋さんの挨拶文があり、今作の原点には美しく愛情にあふれた母親の「涙」があるようだ。高橋さんが劇中の家族を見つめるその視点は母親から受けたあたたかな眼差しなのだろう。
それにしても学生ながら昨年のTGRで新人賞を獲得したスイートホーム、凄く成長を感じた。最近ある演劇人から「スイートホーム、推してますね」と言われ、内心「今回面白くなかったらどうしよう?」と不安だったのだが杞憂であった。けれど来年はメンバー全員が社会人、ということでいいのかな?学生から社会人になることで環境的に大変だとは思うが乗り越えて欲しい。無理はしてほしくないけれど・・・。こんな心配も杞憂に終わればいいな、と願う。
2019年11月15日(金)19:30・11月17日(日)12:00
演劇専用小劇場BLOCHにて観劇
text by S・T