Sapporo Dance Collectiveは「クリエイターが集い、提案、実験、対話し、ダンスを創造する場」としてコンカリーニョを舞台に2018年から継続的に行われている取り組み。『HOME』というテーマのもとオムニバス形式で作品をつくり、3回のワーク・イン・プログレスを経て、作品創造、発表を行うというもの。
取り組み自体とても面白そうで、出演する側の人間だけでなく制作する人間も「SUKIMA」チームとして募集をかけ、より共同体的な創作というものを軸に多様な人々が集まってくるような仕組みもあったりする。
ワークインプログレス形式で行っているということに僕はとても興味が湧いていた。制作過程も含めて作品とするワークインプログレスとコンテンポラリーダンス作品はけっこう相性が良いと勝手に思っていたからだ。
チラシを観る限り、観客と出演者でディスカッションも行うらしい。話し合いとかに参加するのは苦手なのだけど状況次第ではちゃんと混ざろう、と覚悟を決め最後まで会場にいたが、その覚悟は全く不要だった。
3作品が上演され、休憩中に観客が意見を書いて提出。3作品のうち2作品の代表者と司会進行役らしき方が登壇。すると司会なのか司会じゃないのかわからない人が提出された意見をピックアップして、それに答えるという形で「ディスカッション」が行われた(本来司会進行役で登壇したであろう方は喋る機会をなくしていた)。
そこで拾われた意見の大半は「◎◎はどういった意図ですか?」というような作品理解のための質問が多く、登壇者がマイクを使って答えていた。もちろんこういったやり取りも重要だということは理解できる。とはいえディスカッションというより一問一答である。
この状況は単なる質疑応答では?としか思えなかった。なぜ出演者や制作に携わった人々は皆で登壇しないのだろう。なぜその人達同士でも、今回の内容がどうだったか話さないのだろう。そこに現れた意見によっては自分も意見を述べようかと思っていたのだけど、どうもそうではないらしい。
ここは肝の部分だと勝手に思っていたので残念。でも、僕が知らないだけでこれもまた1つの形なのかもしれません。にしても、ここまでの流れを見てきた人には、今回も進化の過程として楽しむことができたのかもしれないし、質疑応答の内容も如何にもな内容だったかもしれない。でも残念ながら僕のような事前を把握していない人間へのフォローは特に存在しなかった。小説を途中のページから読みだしたような気分。
最後に「3回目はすごくなってますから!」と、司会なのか司会じゃないのかわからない人が言っていた。3回目がすごくなっているのを期待しているのではなく、すごくなる過程を楽しみたいのだけどそうではないのかな。
これはワークインプログレスではなく、ましてや公開制作でも公開稽古でもなく、途中経過発表会なのかもしれない。であれば本公演だけ見ればいい。当日の進行具合、3回のワークインプログレスを経ての本公演という枠組。そういったものがどうも旧来の「演劇公演」の型に収まるように作られているように感じる。
これが「コレクティブ」という考え方や「ワークインプログレス」という言葉を用いたディレクターがやりたかったことなのうだろうか。いや、もしかしたら参加者からの自発的な意見を待っているのかもしれない。時間的制約のせいかもしれない。そもそも僕の認識が間違ってるのかもしれない。
勝手に期待して、期待と違ったからつまらないとは言いたくない。前提状況は面白い。面白くなる匂いもしている。期待とは違っても面白いことは世の中にいっぱいある。これからどうなっていくのか気にならないといえば嘘になる。ので3回目の「ワークインプログレス」とやらもスケジュールが合う限り顔を出してみようかなと思い始めています。
text by kazita