重くさわやかな悲しみ 空宙空地『轟音、つぶやくよう うたう、うたう彼女は』

物語とは、時間が過ぎることだと思う。

ある時点からつぎの時点へ。そのときに変化が起こる。あるいは起こらない。それが物語なんだ。

そういった意味で空宙空地『轟音、つぶやくよう うたう、うたう彼女は』の物語はすごいことになっている。とんでもなく猛烈なスピードで時間が過ぎていく。あっという間に時が流れ、人は成長し、老いていく。それがおかしくて笑ってしまうのだけど、しだいにだんだん、笑いだけではない感情が広がっていく。

主役のひとりである「母」(おぐりまさこ「空宙空地」)は嵐のように過ぎていく時間に翻弄されて生きている。もうひとりの主役である「娘」(米山真理「彗星マジック」)はそんな母のようにはならないと言ってるんだけど、彼女もまた、この世界の住人だ。逃れようのない時間という世界に閉じこめられている。

舞台装置がもうひとりの主役と言ってもいい。巨大な壁のような衝立(ついたて)が、いくつも左右に動くことで人が現れたり消えたり、時間や場所が変化したりする。壁の大きさとあいまって、人や人生が強制的に変化させられているようにも見える。巨大な、時間という暴力に。

この劇は、登場人物の意識時間と、舞台上の物語時間の差がすさまじい。それが滑稽なんだけど残酷でもある。過ぎ去った時間を惜しんでいるうちに新たに別の時間が失われていく。僕たち観客は笑いながら胸を締めつけられる。だってこれは、舞台の人物だけに起こってることじゃない。

だから僕たちはこの劇を観ながら自分を見つめる。そういう劇はいい劇だ。舞台の上の母子を見ながら自分や家族のことを思う。この劇を見終わったら、もう少し人生を考えよう、家族にもっと優しくなろうと。

そうして劇が終わる。舞台上の時間は止まり、物語も動かなくなる。僕の中に、重く、さわやかな悲しみが広がる。悪くない、むしろいい気持ちだ。不思議な感慨を持ちながら劇場をあとにする。こっちの、僕たちの時間は動きつづけている。止まることなく、過ぎていく。

本作にはビフォアステージというものがあって、本編の前に短編が上演される。4種類あって、初日は『ふたり、目玉焼き、その他のささいな日常』。

さまざまな場所で上演されている演目で、演劇シーズンのキックオフステージでも一部を披露していたから、いわば「空宙空地」の名刺代わりの一作か。

本編『轟音~』とこの短編はテーマ性が似ていて呼応し合っている。過ぎゆく時間、過ぎてしまった時間と、かけがえのない、つまらない日常。終盤にうならせられる見事な構成で必見。

出演は明逸人と澤田未来(ともにELEVEN NINES)。澤田は終盤の切り替わりで客をグッと物語に引きこむ。明の、自分の理屈・ルールがあって、起用なようだけど不器用な男という演技が実にうまい。男の観客は、この役を身につまされながら、やさしく、切なく見守るが、はたして女性はどうだろう。男のようにやさしく見てくれるかは……僕にはわからない。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2020年2月1日~2月6日

初出:札幌演劇シーズン2020冬「ゲキカン!」

text by 島崎町

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