予感はしていた。
だから、たぶん、どんなに明るく、楽しく、ふざけた場面でも、心の底から笑えなかった。
わたしが、3歳になったばかりの頃の物語。
あの頃のわたしは、オリンピック会場になる真駒内屋外競技場の施工管理をしていた父に連れられて、競技場のライトを見上げてあまりの高さに驚いていた。
たぶん、わたしの一番古い記憶。
札幌の街が、若い野生の生き物のように生き生きと、伸び伸びと野放図に発展していた頃。
野放図だから、その末端で悲しい思いをする人たちにも配慮なんてすることもなく無邪気に古いもの、汚なく見えるものを踏み潰していっていた頃。
出てくる人たちを見渡す。この人憎たらしいって思っても、良く目をこらしてみると、悪い人なんて誰もいないのだ。
オリンピックだ、平和の祭典だと浮かれているけれど、まだまだ戦争の傷痕を隠してる人だらけ。
それぞれがそれぞれの事情や傷みを抱えて、自分を信じきったり、騙したりしながら必死に生きている。
悲劇は、特別なところにうまれるわけではない。正常と異常のボーダーライン。いや、そんなものそもそもない。
開くはずのない閉塞が肉体の衝撃とともに解放されたとき、どすんと鉛のように重いものが胃の中に落ちてきた。開いたというのに。
あれは私たちの物語。
過去ではなく今の。
ここ札幌の。
美しくて美味しいばかりではない札幌。
ぜひ、札幌から遠くにいる人たちに観てほしい。ここに来て観てほしい。
2020年2月20日 19:00 於:札幌市民交流プラザ クリエイティブスタジオ
text by わたなべひろみ(ひよひよ)