本日、9月6日シアターZOOで、風蝕異人街の三木美智代さんの一人芝居、「業火」(脚本・演出こしばきこう)を観てきた。
感染対策に万全を尽くしていたことは時代の記録として特筆したい。
明かりが消えて、公演が始まる前、トム・ウェイツの曲が流れている。
精神科医(分析医)が椅子に座って珈琲を飲んでいる。
どこから見つけてきたのかと思うぐらい、古くて立派な机と椅子。
相談者の主人公用の白い椅子が少し離れて置いてある。
主人公の女が登場し、ライターの火をつける。
火の話をします、と言って、「私の恐怖をすべて引き受けてくれる火」の話をする。女は子どものころ、父母に虐待を受けていて、カーテンに火をつけて家族を焼死させた。その火の美しさ。
何かを燃やしていかなければ存在できない、きれいな悪。
自分のことを言っているようにも見える。
それから、原作にはない、札幌の施設はまなす園で級友のユリの肩をつかんで驚かせて、崖から落ちさせた記憶を話す。
中学に進学し、不良グループの仲間になり、中絶も経験した。
Rという残虐な男と知り合い、腕をへし折り首を絞める男の恐怖を味わう。
その町で会社の同僚の兄弟と結婚し、娘を生んで両親の屋敷に住んだ。
義母は冷たく、夫は浮気して夫婦生活は破綻。夫の父を誘惑して家を破滅させた。クラブ勤めも辞め、身を売って借金を返す生活。
Rが女の娘と夜を共にしていた。
火に焼かれている女に「まだだ」という母の声が聞こえた。
ここまで話し終えて、言っときますけど、これ全部嘘ですよ、とすべてを否定して見せる。「こんな私でも生きていていいのでしょうか」
数年後、赤いコートを羽織って診察に再来した主人公。
先生に自分の話をしていた頃が幸せだった。颯爽とした、チャーミングな顔で女は言う。「私、何とか生きていきます。」この赤いコートの場面も原作にはない。
私は原作を読んで余りの陰惨さに途方に暮れたが、こしばさんは、いくつかの暗すぎる設定を思い切ってカットし、最後に希望の見える展開に変えた。
精神分析的には転移を経た寛解(快方)とでも言うのだろうか。
観る前は三木さんの一人語りに終始するのかと思ったら、何度も立ち上がって、過去の記憶を全身で演じて見せる。吹っ切れた三木さんの演技には爽快な開放感がある。
こしばさんの脚本も、三木さんの自在な演技も、表現の持つ救いを確かに感じさせる。
原作を読んだときはどうなることかと思ったが、さすがの二人である。
燃やさずに存在できぬ悪の華それでも生きる顔に陽が差す
9月6日2時開演
観劇場所 シアターZOO
text by 山口拓夢(ゲスト投稿)
text by ゲスト投稿