あっという間の2時間 イレブンナイン『名もなく貧しく美しくもなく』

 人間のくずが集まる最果ての街。そこに暮らす父親ヤスオ(納谷真大)と十代前半の娘サヤ(東李苑)。最果ての街はこっち側、普通の人間が暮らす街があっち側。あっち側から人は来るが、こっち側からあっち側に行く人はいない。いや、あっち側で失敗してこっち側に来ているので、あえて行かない。ただ、サヤだけはこっち側で生まれ、あっち側を知らずに育ち、ヤスオは「世界は醜い」を口癖にサヤをあっち側には行かせない。ヤスオはあっち側から来た男たちにサヤのスカートの中を見せてお金を得るという最低の生活をしている。そこには興味本位であっち側から来た男(櫻井保一)もいた。
 ある日、ヤスオの古い知人カズヤン(平塚直隆)が、ヤスオに黙ってサヤをあっち側のお祭りに連れ出す。そこでサヤはかつてスカートの中を見に来た男にスカウトされる。事務所の方針で最果ての街出身であることを隠し、名をカノンに変えて、一躍スターダムにのし上がるサヤ。サヤが最果ての街を出て10年。カノンが人気絶頂の頃に、最果ての街出身であることがマスコミに知れ渡り、カノンは自らアイドルであることをやめてこっち側(最果ての街)に戻る。

 父と娘の関係だけを追えばこんなストーリーだが、ここに、最果ての街の住人たち(小島達子、山田マサル、菊地颯平)、その地区担当の駐在員(明逸人)にして後の市長が絡み、事務所の社長(上總真奈)や社員たち(櫻井保一、伊達昌俊、小森春乃、内崎帆乃香)、芸能雑誌の記者(坂口紅羽)やカメラマン(梅原たくと)、サヤと同じ時期にあっち側に行って成功を収めるこっち側の男女(山木将平、大和田舞)、あるいはあえてこっち側に身を置こうとあっち側から来た若者(大作開)と、若者を兄と勘違いする双子の姉妹(沢井星香、山本透羽)の話が重なっていく。
 父と娘の物語に、登場人物を巡るさまざまなストーリーが絡み合う。総勢19名が登場するのでそれぞれに物語(エピソード)を持つが、話は決して難しくない。むしろそれぞれに、話はシンプルで分かりやすかった。しかも、もたつき感もなく、あっという間の2時間だった。

 お芝居の冒頭、『一体この人たちは何をしゃべっているのか』と度肝を抜かれる。英語だったり日本語の単語だったり、まったく意味不明の言葉だったり。舞台には字幕が流れる。こっち側(最果ての街)は、世界各国からいろいろな人間が集まってきているので、言葉がいろいろな言語を合わせて発展してきたという設定だった。よくよく聞けば、簡単な英文と日本語の単語、そして日本語をひっくり返した言葉だった。こっち側の人間は、全員、よどみなく話していて、しかも早口で話す場面も多く、相当難易度が高いセリフであるように感じた(言葉遊びとしても使えそうな感じ)。

 サヤ(カノン)役の東李苑は、思っていた以上に良かった。二重丸。こっち側にいるときの難解な言葉も問題なく話していたし、あっち側でアイドルになってからの立ち振る舞いもセリフも実に自然だった。アイドル役は、東李苑がホンモノのアイドルだから当然といえば当然だが、お芝居は別ものだし、お芝居をしながら自然にセリフをいえる能力に、もう一度お芝居を観てみたいと思わされた。お芝居の最後で、父親が「世界は醜い」と口癖を口にした後で、サヤが「でも美しい」と付け足すセリフの場面は、グッとこみ上げるものがあった。

 納谷演じるヤスオに絡む役どころがカズヤンであり、カズヤンを演じたのが名古屋から駆けつけた平塚直隆。うまいの一言しかない。で、思い出すのが、『12人の怒れる男』。『12人』でも、平塚は重要な役どころをシブく演じていた。今回のお芝居でも、最後に至るまでヤスオとどんな関係にあるのか明かされなかったが、その謎を秘めた苦悩する役どころをうまく演じきっていた。『12人』でいえば、2018年の『12人』に出演していた明逸人、櫻井保一、山田マサル、梅原たくと、菊地颯平が顔を揃えていて、『12人』のそれぞれの役どころを思い出しながら、その落差に苦笑しつつ観た場面もあった。

 音楽は山木将平が担当。劇中でもアコースティックギターを奏でて、歌も演奏もお芝居もうまいことに驚いた。札幌にもこういう才能を持っている人がいるんだなあ。

 納谷さんは、パンフレットの中で「この劇は、私にとってのターニングポイントになるような気がしております。良い方向にターン出来る気がしております。」と書いている。もちろんこれは、コロナ禍で上演することをしばらく休むことを考えた末に上演を決めた気持ちを表している(「武闘派の小島達子はそれを許さず、戦うことを選びました。」とも書いている)。
 札幌の演劇シーンはイレブンナインの力なくして盛り上がらない。その意味で今回の上演には意味がある。

 しかし、小生にはやや不満だったところもある。
 クライマックスで、ヤスオはカズヤンを殺した罪で収監される。そこにサヤが面会に訪れる(実はカズヤンはヤスオに詫びる意味を込めた自殺だったのだが)。ここでヤスオとサヤの掛け合いが展開される。「納谷節」炸裂(笑)。この場面を観ていて『あれ、これは「はじまりは、おわりで、はじまり」の父親と娘とのやりとりに似ている』と思ってしまった。こう思い込むと、筋立てもセリフもまったく違っていても、『娘を思い、守ろうとするシャイな父親の物言いは一緒だな』と感じ、エンディングも『はじまりは』と重なってしまい、このことで物足りなさを感じてしまった。もちろん、娘を慈しむ親の気持ちは、どんなシチュエーションでも変わらないともいえるのだが…。
 
 
イレブンナイン『名もなく貧しく美しくもなく』(脚本・演出:納谷真大)
上演時間:2時間5分(途中10分間の空気入れ換え時間あり)
2020年9月13日18時
コンカリーニョにて

text by 熊喰人(ゲスト投稿)

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