視線と視線 札幌西陵『HR』

この前の札幌啓北商業の感想でも書いたが、今年の高校演劇・全道大会は映像審査になった。それぞれの学校が支部大会の映像なのか撮影し直した映像なのか、何を出したのか気になる~~~~と思っていた11月中旬、「全道大会への稽古を無駄にしないために撮り直した」と、札幌西陵の田代未来先生から映像をいただいた。その感想を記したい。

夏休みを過ごす浩輔の元に、同級生で野球部の明と野球部マネージャーのユカが「後輩の試合を見に行こう」とやってくる。浩輔はある理由で野球から離れたが、明は今も「もう一度一緒に野球をやろう」と諦めない。が、浩輔は「(北見から)函館に引っ越す」と切り出す-というのが、物語の始まり。

この作品は、①明が恥ずかしさを捨ててのびのびと演じ切れるか、②浩輔が微妙な心の変化を静かに表現できるか、の2つにかかっている。理由は、2人のキャラクターが「動」と「静」であり、野球に対する思いも反対のベクトルを向いたところからスタートするからだ。だから、どの場面でも2人のやり取りには動きが出るし、どうしても「見て」しまう。でも、私が注目するのはユカと浩輔の母親である。ユカは中学時代は美術部で、高校に入ってから野球部マネージャーになっている。「(中学時代)窓から野球部の練習を見ていた」→「浩輔が好き」という気持ちが理由だろう。でも、その思いは言葉にせず、浩輔の姿を真っすぐに見つめることで伝わってくるのがとてもいい。田代先生は「まだまだ」とメールに書いていらっしゃったけど、私はユカの浩輔への思いをほんのりと感じさせる消え入りそうな声が大好きだ。

一方、浩輔の母親。実は支部大会ではあまり重要視していなかった。どうしても物語の補足説明をする存在にしか見えなかったからだ。でもいただいた映像では、1年前に亡くなった夫の仏壇が一目でわかる所に置かれた(※)こともあり、配偶者として家族をつなぎ、先生の奥さんとして生徒たちをつなぐ姿に変わった。その結果、支部大会よりも物語の展開がスムーズになり、母として、先生の奥さんとしての目線が見えてきて存在感が増したように思う。だから、「走れRUN」でグラウンドに向かう3人を送る表情が、後ろ向きだった浩輔が前を向き始めたことへの安堵とともに、浩輔に野球を続けたいと願っていた「YB(野球バカ)」な夫への報告ともとれ、余韻が残るラストになった(母親役の工藤さん、1年生だったのね!)。

※支部大会では仏壇は下手に置かれ、パッと見では仏壇とわからなかった

さて、この脚本は、現・網走南ケ丘高演劇部顧問の新井繁先生が北見北斗高演劇部の顧問をやっていた時に書いたものだ(新井先生へ。『口咲け女』のBDは受け取っております。感想を近々アップします)。新井先生が書いた本の舞台を思い返すと、役それぞれの視線の強さを感じる。『HR』だと、浩輔は気付かないけれどユカの視線は常に真っすぐに浩輔に向かっているし、明から浩輔への視線もある意味「一途」である。卜書には「誰を向きながら~」などは書いていないけれど、演出したり演じたりする時になって、おのずと視線の方向が「わかる」ような本なのだろう。私が初めて観た『常呂から(TOKORO curler)』でも、父親は娘から反発されようとも娘から、自分が信じるものから視線を外さなかった(とてもすてきな舞台だったので、もう一度観たい)。視線の先にいる人が振り向くかどうかはそれぞれだけど、誰か・何かに向ける視線-強い思いは、観る人の心を動かすものだなぁと感じるのである。

 

2020.11.16 Youtubeで観劇

text by マサコさん

SNSでもご購読できます。