作 髙橋正子さん。
アイヌの血を引く女の子が現代と江戸時代を行き来しながら物語が進んでいく。江戸時代といってもいつ頃か?と思って観ていると紀州の商人がコレラで家族を亡くしたと言っていたので、おそらくは1820年代なのだろう。
ボクはアイヌ文化である熊送りについてはあまり知らない。けれど熊送りをしないでアイヌ文化と言われても・・・とは漠然と思っていた。そんな時に映画の『アイヌモシリ』を観た。するとアイヌの人たちの集まりで「熊送りをしないとアイヌじゃない」みたいな問題提起があって「そうだよね!」と我が意を得た思いだった。知識としては映画を観る前に読んだ、カムイプロジェクトさんのツイートの閑話①、
迎えた(狩った)際はご馳走を用意し、歌や踊りを披露します。熊に「人の国はいいところだ、また来よう!」と思ってもらう為です。羆は人の国を楽しみ、人は胆や毛皮、肉をいただく。カムイと人、Win-Winの関係ですね!
ぐらいしかなかったので、映画で死んだ子熊の目線で宴が映し出された時には嫌悪感しかなかった。Win-Winといっても一方的な人間の論理ではないかと。けれども自分で調べてみると考えが変わってきた。熊が神様なのではなく、神様が熊の姿となって現れ肉体を恵んでくださるのだと。そうであるなら個人的には納得がいく。まさにWin-Winの関係である。この点、髙橋作品でも簡潔に、そして情感たっぷりに説明されていて良かったと思う。まさにアイヌの人たちの信仰を正面から描いていた。けれど『アイヌモシリ』で描かれた現在のアイヌの人たちは、神様が熊の姿をしているとは信じていない。ただアイヌとしてのアイデンティティーを保つために熊送りをしたようにボクには見えた。だから高橋作品を観たアイヌの人たちは何を思うだろうか?と考えたら胸がドキドキした。守り紐についてもそう。調べてみると守り紐がなければ「あの世」に行くことができないらしい。それをアイヌの人たちは信じることができるかどうか?主人公の祖母の遺品は文化遺産ではあるけれど、信仰をもってみれば違う見方が現れる。文化の根っこにある物は何か?髙橋さんの鋭い問題提起に思えてボクは衝撃を受けたのだった。
なお、熊送りについて補足するならば知里真志保氏の『和人は舟を食う』を紹介したい。それによると、和人との交易をモデルにして熊送りの儀式が生まれたことが分かる。村長が和人の家にお客さんとなり、土産をもらって故郷の村に帰る。見聞を語り土産をお裾分けして自らの権威を高める。高橋作品のようにアイヌの人たちと和人の友好的な関係が熊送りの原型となっているのだ。髙橋さんがどこから発想を得たかボクには分からないが、和人が困窮して子供を育てられずアイヌの人たちが代わりに育てたというエピソードも実際にあったことで、明治や大正の話ではあるが『北海道と少数民族』(札幌学院大学人文学部編)で紹介されている。
あと調べていて気になったのはカムイプロジェクトさんのツイートで参考文献としてあげられていた『増補・改訂アイヌ文化の基礎知識』をネット検索してみると、内容説明で「日本列島の先住民であるアイヌ民族」とある。けれど今作を見る限り髙橋さんはそう考えてはいないようで、カムイプロジェクト内でも考え方はそれほど固められていないのかな?と思った。「アイヌ=日本先住民族説」については前掲の『北海道と少数民族』に野村義一氏の講座内容が掲載されているので興味のある方は読んで頂きたい。
それにしても髙橋さんは今の札幌で最も優れた劇作家の一人だと思う。今年は髙橋さんが所属する「演劇家族スイートホーム」の作品を観ることができなかったが、スイートホームの今後の活躍が楽しみである。
※コロナ禍で潰れたイベントの一つに、北海道立文学館で行われる予定であった「砂澤ビッキと澁澤龍彦 その文学的・芸術的交友から」があります。巖谷國士氏による講演ですが『アートコレクターズ2020年10月号』に講演する予定だった内容が掲載されていますので紹介しておきます。そしてビッキ氏の息子さんである砂澤陣氏は『ゴールデンカムイ』について意見を述べられていますので、そちらも参考にするとよりアイヌの人たちの世界が楽しめるかもしれません。
2020年12月27日(日)13:30
生活支援型文化施設コンカリーニョにて観劇
text by S・T