あれから10年。
「もう10年」なのか「まだ10年」なのか、人によって思いは変わる。
だけど月日が経つにつれ、東日本大震災の記憶はしだいに薄れつつある。僕の中からも、人々の中からも。
だからこそ物語なんだと思う。一過性のニュースではなく物語として出会うことで生活の中に出来事が生きつづける。あの日の記憶が、言い伝えや伝承、物語として後世に残りつづける。
座・れら『空の村号』は東日本大震災で被災した村を舞台に、少年・空(そら)が空想を羽ばたかせ、想像力を武器に現実を生きていこうとする物語だ。
地震が起き原発が爆発し、放射線の被害におびえる村で、空はあまりに無力だ。現実を変えようもない。それでも映画監督を夢見る彼は、この現実に物語で対抗する。
空が作る映画は大人から見れば稚拙な夢物語かもしれない。だけどそれは、現実と向きあった結果で現実逃避ではない。現実をありのまま見ることと想像力を働かせて見ることに違いはないのだと、この劇は言っている。
劇中、カメラを持つ人物はふたりいる。空と、中東帰りのドキュメンタリー監督だ。ドキュメンタリー監督は村の人にカメラを向けて生の声を撮るが、空は自分の思いを動力にして空想の宇宙戦艦を発進させる。方法は違うがふたりの思いはおなじなのだ。
『空の村号』という戯曲は、劇作家の篠原久美子が被災地でボランティアをしたときに聞いた言葉が「降り積もって」できたものだという。はじめは10分ほどの短編だったが、のちに改作を依頼され長編になった。そのとき「うんを明るい話を書きたいと思った」らしい。そう、本作には明るさがある。それがいい。
この公演も明るさを出そうと奮闘している。初日はまだ緊張感があったが、日を追うごとにこなれていくだろう。新型コロナ対策もあり(万全だ)観客も少しかたくなるかもしれないけど、想像力は自由にはばたかせて物語を楽しんでもらいたい。
だからこそ、想像力の飛翔をさまたげないためにも舞台上のモニターは不要だったように思える。終盤の映像はモニターではなく客の心にこそ映るべきものだろう。
劇中、震災やこの村が忘れられてしまうことへの危惧が語られる。この戯曲は短編が2011年、長編は2012年に書かれた。それから月日が経ってもなおメッセージは変わらない。むしろ強くなっている。
これは、忘れないための物語。
公演場所:札幌市こどもの劇場 やまびこ座
公演期間:2021年2月11日~2月18日
初出:札幌演劇シーズン2021冬「ゲキカン!」
text by 島崎町