様式美はエンタメになりうるのかー All Sapporo Professional Actors Selection Vol.2『北緯43°のリア』

「北緯43°のリア」初日に行った。
ようやく、いろいろ気をつけながら、劇場に足を運ぶ気持ちになってきている。

会場に入ると三方に客席、中央には王家の谷があった。

開演前のアナウンスにも昨年、千秋楽目前に中止を余儀なくされた「虹と雪、慟哭のカッコウ」の悔しさと、どうか安全にこの公演が全うされるようにという祈りがこめられているように感じた……にしても、このアナウンス、ちょっとアレクサ味がないか? おかしいって(笑)。

重いトンコリの音で幕が開く。
音楽はOKI&マレウレウ。北緯43°のここで演じられるリア王はアイヌの美意識で彩られていた。

殺陣の華やかさや雪嵐の寒々しさは、悲しい結末へと物語を導く良いアクセントになっていたと思う。そして、昨年の「虹と雪、慟哭のカッコウ」へのオマージュや、昨今の状況への皮肉が随所にはさまれる。終盤のエドガーとエドモンドが対峙するさまは、合わせ鏡のようで、影との戦いを思わせた。

つい先日、たまたまわたしは、シェイクスピアの読み方についてレクチャーを受けたばかりだった。そのため、怪しげな隠語や韻を踏む言葉、観客へのちょっかいなど、なるほどなーと、思いつつ観られた。

でも、それがなかったとしたら、わたしはこの舞台を素直に楽しめただろうかとも思ってしまった。

舞台で演じる役者の熱量は確かに伝わってくる。でも、楽しませるための何かが、少し薄味のような気がしたのだ。その何かが何なのかはわたしにもまだわからない。様式美を理解していることが前提なのであれば、広くいろいろな人に「ねえねえ、演劇観に行かない?」と、気軽に誘うのが難しくしなってしまうのかも。わからせてほしいというわけではない。何もわからず観たとしても、心を動かすものであったならと思うのは、単なるわがままだろうか。少なくとも、昨年の「虹と雪、慟哭のカッコウ」にはそのようなものがあった気がする。

ただ、まだまだ初日。これから回を重ねるごとに、王家の谷の住人たちは、より自然に北海道にある王家の谷の人たちとして練り上げられていくのだろうとは思う。

そして、このシリーズは、まだ2回目。旬のものやボージョレヌーボーのように毎年この時期になったら観に行って、「今年の味わいはこうだったね」と、話せるようになったら面白いのではないだろうか。

最後にもうひとつ。
バッタバッタとメインキャラが死んでいく展開に思い出したことがある。
今、アニメでも話題の「呪術廻戦」。このマンガでも、結構な勢いでキャラが死ぬのだ。作者の芥見下々自身も「面白くするためなら、誰でも殺してしまうのはやぶさかでない」といったことも言っている。こんな風にはるかな時を越えて、物語の作風というものは伝わっていくものなのかもと思ったのだった。
 
 
2021年2月26日19:00 於:クリエイティブスタジオ

text by わたなべひろみ(ひよひよ)

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