最大多数の最大幸福?  Compagnie “Belle mémoire” 『ICARUS』

作・演出 山口健太さん。

人間の幸福の為に創られたAIが「総合的に判断」し、人類に良かれと人口削減に取り組んでいく物語。

Belle mémoireを初めて観たのは無観客で生配信された『the BLACK BOX』であるが、その時は数十秒で観るのをやめた。雰囲気がボクには合わないと判断したからだ。けれど前作の3人芝居は非常に面白かったので今回劇場へ向かうこととなった。

結論から言うと面白かった。ストーリーを理解できないことが多かったにもかかわらず(ボクだけかもしれないが)楽しむことができたのが不思議。芝居を面白く見せるためにダンスがかなり効果的だったのか?セリフを聞き逃さないように気負うこともなかった。言ってしまえば聞き逃してもあまり気にならない(最後のたこ焼きも容器に何か書いてあったし絶対聞き逃していると思った)。物語の構成がしっかりしていたのだろう、話の筋はなんとなく分かる気になる。冗長と思える部分もボクの理解が及ばなかっただけで、台本を読み込むことができれば物凄く面白くなるかもしれない。そう期待させるものがあった。

劇中、挨拶代わりの「ファッキーン」のセリフが心地良く響く。物語は2038年。過去にはウイルスの蔓延による不幸な時代があったようだ。ウイルスに対応するため政府による監視体制が強化されていった世界が描かれているがコロナ禍の未来を連想させる。若者の自殺の増加、リベラルな監視社会、物語は間違いなくリアルな現在の延長にある。

「人間舐めんなー!」

AIとの対決の場面でのセリフ。泣きそうになった。感情移入したからでは無い。去年からのコロナ禍、心無い声の数々を思い出したからだ。外出するなんてもってのほか、外食なんてとんでもない、コロナ禍で潰れるくらいならどっちにしてもいずれ潰れる・・・。自分が飲食業にかかわっているわけでもないのに物凄いストレスを感じた(帯状疱疹にもなった)。ウイルスを恐れるばかりに、自分さえ守れれば他人などどうなってもいいかのようだった。隣人愛はぶっ壊れた。そうボクは思った。

毛沢東は生来争いを好む性格で、しかも争いを大きくあおる才能にたけていた。嫉妬や怨恨といった人間の醜悪な本姓をじつにたくみに把握し、自分の目的に合わせて利用する術を心得ていた。毛沢東は、人民がたがいに憎みあうようしむけることによって国を統治した。                            『ワイルド・スワン』(下) ユン・チアン

監視しあうような、憎みあうような姿は文化大革命とそう変わらないんじゃないか、そう思えていたから「人間舐めんなー!」のセリフに「そう言い切れたらどんなにいいか」そう心の中で呟きながら涙をこらえていた。

タイトルのICARUSであるが、AIを創り幸福な社会を創ろうとする試みが「空から世の中を見降ろし神になった気がしたイカロスの驕り」を喩えたものであった。今作の場合は単純にテクノロジー批判ではなく、理性によってユートピアを建設できるとする考えを批判するものであろう。理性的に考えれば人口増加により人類の存続が危うくなれば強制的に人口を削減することは「総合的に判断」すると誠に合理的に思える。しかしそこには「人間とは何ぞや」という根本的な視点が欠けている。

戦後間もない頃、ドイツ人で哲学を教えておられたB神父は、「ダーウィン流の考えが広まれば、ヒトラーのような大量殺人者が出てきても不思議はない。人間は結局サルと大して変わらないことになるのだから」と語った。                                               「言語起源論と進化論」『渡部昇一小論集成』収録

書きたいことは他にもあるが話が脱線してきたのでまとめに入る。今作は2019年に上演された200年後を舞台にした『○○はみんな生きている』(もちろんボクは観ていない)と繋がりがあり、今後も1つのシリーズ作品として制作される予定だという。先が不透明なこの時代に、札幌の演劇でシリーズ物が楽しみと思えることはとても幸福なことに思える。

絶望の中でも希望は残ったと思えた今作。次回作ではさらに絶望させられるのか否か。やはり若い人たちには期待してしまう。

 

2021年7月25日(日)13:00

演劇専用小劇場BLOCHにて観劇

text by S・T

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