ほとばしる関西弁、体ごとぶつかる激しいツッコミ。
確かに、今、新たに作っていたら問題アリと言われてしまう作品かもしれない。
でも、閉塞感ばかりが募る今だからこそ、ぴたりとはまる再演だったように思う。
テンポよいというより、むしろ早口で聞き逃してしまうくらいのセリフ回しに、最初はついていくのが大変だった。なんせ、そのくらいこちらが演劇に触れていなかったから。観る側としてもこなれていないのだ。それでも、何となく漂う不穏な空気はわかる。どんなに楽しげであろうと、明るく振る舞おうと。
目に見える世界では役に立たないものが、目に見えない世界では物事に通じている。
目に見えない世界で一番苦しんでいるものが、目に見える世界ではどうしようもなく傲慢。
「どれもがホントで全部ウソ」
まさしくその通り。
正しさはそこにはない。生きていればそれは当たり前のことだろう。正しいだけで生きてはいけない。その辺りをはき違うことから、ここ最近の世の中のモンダイは起っていないか?
一人の人間がまるっきり良い人であったり、悪い人であったりなんてあり得ないし、そんなのわかりっこない。
わかるのは、その人にとって良い人なのか、悪い人なのかということ。それだって、移り変わっていく。本質は変わっていないかもしれないのに。
思い込みと細かな積み重ねが運命を大きく変えていくことだってある。そうか、そういうことか。
目に見える世界では、おとうちゃんは一生悪者のままだろう。ならば、せめて、ハナコのようにおとうちゃんを労ってやろう。
最後に集まった人たちがお盆に集まった亡霊のように見えた。それは、怖いものなのか、うれしいものなのか、虚しいものなのか、切ないものなのか。
そして、わたしには、その光景がコロナが降りかかる前の世界の幻の姿にも見えた。
2021年8月13日19:30 於:コンカリーニョ
text by わたなべひろみ(ひよひよ)