ストーリーを追うのは悪いクセだ。
演劇は空気の揺れ動き。役者と観客がおなじ空間を共有して成り立つもの。目の前で発せられたセリフが空気の波となって客に届く。その微細な感触を味わったり大胆な振動を全身で感じたり。それが演劇。生の舞台だからこそ持ちえる強さ。
それなのに僕は目先のストーリーについつい目を奪われてしまう。興味が、関心が、ストーリーを追ってしまう。
そういうことをやめたいなあと思っていたのだけど。
弦巻楽団『ナイトスイミング』。ストーリーの誘惑が僕を襲い、気がつけば1時間40分、追いっぱなし、惑われっぱなし、心を持っていかれっぱなし。
はっきり言って、もういいや、って。もうストーリー追って楽しんでなにが悪いんだって開き直れるくらい面白い。こんなにもか! ってくらいやられる。
ストーリーをこんなにも楽しく浴びられるのは、脚本だけでなく、演出、役者、音響、照明、美術、もろもろのスタッフたちが一点を目指し積み上げていった成果だろう。その到達点を僕たちは観ている。
あるいは「ストーリー」と呼び僕が魅せられたそれは、すべてのキャスト、スタッフが共同で織りなす舞台上のマジックなのかもしれない。大量の雪に覆われた北の一都市、とある建物その中で、人が動き、しゃべり、光りがまたたき、闇が静かに降りそそぐ。するとそこに宇宙が現れる。過去・現在・未来、時が生まれる。物語が動き出す。
不思議だ。この「ストーリー」なるものは、僕が演劇の一部分として過剰に期待し切り離そうとしていたものは、もしかしたら「全体」だったのかもしれない。劇場を支配し、空気の揺れ動きで微細かつ大胆に感じていたその波は、「ストーリー」という場の共有だったのかもしれない。
『ナイトスイミング』。夜に泳ぐ。
謎の惑星と衝突した宇宙旅行のクルーは暗黒の海を泳ぐ。無重力を漂いながら、きっと、星のようにきらめく断片を目撃するだろう。それは機体の残骸ではない。砕け散った時間と記憶のかけらだ。
衝突によって主人公の過去・現在・未来が飛散する。散らばった時間が、ひとつまたひとつときらめく。そのたびに、僕たち観客の前にストーリーが現れる。交差する時間の中に、人の思いの切なさや強さを観る。
暗闇に漂うかけらをかき集め、僕たちは泳ぐ、ストーリーの海を。波がおしよせる。心地よい波が。
追記:
2月8日、以上の内容を書いて事務局に送ったあとに、本日の公演中止のお知らせを知りました。再開は未定とのこと。体調不良のかたの快方を願うばかりです。また、公演に関係されているかたがたも、なにごともなければと思います。このすばらしい舞台、傑作と言っていい作品が中断となることはとても残念です。新型コロナによって社会生活は大変になっています。場を共有することで成り立っている演劇もかなりの打撃を受けています。もし上演再開となったあかつきには、みなさん、ぜひ観にいってください。とんでもなく面白い舞台なので。ぜひ。
公演場所:コンカリーニョ
公演期間:2022年2月5日~2月12日
初出:札幌演劇シーズン2022冬「ゲキカン!」
text by 島崎町