宇宙の果てと子午線 赤堀雅秋プロデュース『ケダモノ』

作・演出 赤堀雅秋さん

真夏の田舎町。リサイクルショップ屋さんが遺品整理のために訪れた蔵で「ある物」を見つける。それをきっかけに関わる人たちが狂っていく物語。序盤、田中哲司さんが語る宇宙論が思わせぶりで、観客に物語と一定の距離を取らせる効果があるように思える。

初めて門脇麦さんを観たのは『お迎えデス。』だったと思う。ほとんど覚えていないのだが「面白い役者」との印象が残っている。その門脇さんの印象がちょっと変わる出来事があった。ウエンツ瑛士さんが小劇場で観劇したとき、観客の中に門脇を見かけ声をかけたというエピソードをテレビで見た時だ。有名人なのに小劇場で観劇するのか?「芝居に対して貪欲な人だ」と思った。

そして印象が変わったところでの『ミステリと言う勿れ』。女の子が父親の虐待から逃れるため生み出した別人格「ライカ」の演技は圧巻だった。虐待する親を殺してくれた早乙女太一さんが演じる「香音人」の遺体に感謝の祈りを捧げる場面では泣きそうになった。香音人は虐待する親を放火によって殺害し子供らを救ってきたのだが、救われた子供たちは「親の死を選択」したことにより心を病んだり自殺をしていた。そんな中でライカは感謝の祈りを捧げるのだから、何が良くて何が悪いのか分からなくなってくる。人間の罪深さを突き付けられたようであるが、キリスト教的には原罪と言うことなのだろう。なぜ神が原罪を作ったのかは謎で玄義(ミステリウム)と言うらしい。けれどライカの苦しみを簡単に「原罪のゆえ」なんて言ってほしくはない。「ミステリ(原罪)と言う勿れ」とボクは言いたくなった。ボクが原作を読んだだけでは感じられなかったことを門脇さんの演技によって得ることができたのだった(そういえばソメイヨシノの木々は人為的な接ぎ木によって増やしたので同じ遺伝子を持つが、原罪もキリスト教では遺伝すると言うし、ライカが読む『自省録』のマルクス・アウレリウスはキリスト教を迫害した。田村由美先生はキリスト教がお嫌いなのだろうか?)。

そしてドラマが放送される中、ウクライナにロシアが侵攻した。コロナ禍も収まっていないのに。ウクライナを攻撃するプーチンの言い分が理解できないボクの頭の中にパスカルの言葉が浮かんだ。

「われわれが見る正義や不正などで、地帯が変わるにつれてその性質が変わらないようなものは、何もない。緯度の三度のちがいが、すべての法律をくつがえし、子午線一つが真理を決定する。」(パンセ)

実は玄義のことを知ったのはパスカルについての本を読んだからなのであるが、子午線という言葉にも妙に引っかかっていた。それはボクが「子午線」という雑誌を持っていたからだった。その雑誌を確認するとパウル・ツェランの講演『子午線』から雑誌名を付けていた。ツェランは子午線をパスカルと違い「詩のように出会いに導き、結び合わせてくれるもの」としている。

「場所の探索でしょうか?その通り!ただし、探し出すべきものの光、つまり現実にはないユートピアの光に照らされての事です。」(子午線)

今作『ケダモノ』は光の使い方が上手いと思った。車のライトやテレビの光。派手さは無いが、それが妙に舞台になじむ。けれど花火の光は無かった。真夏の花火大会ともなれば派手に照明を使ってもらいたいところであるが光を使った演出は無い。花火の光を見せないことによって、現実には無いユートピアを表しているようにも思える。だからこそ花火を観た、花火から目を背けた二人の女性の最期には「何とかならなかったのか?」と思ってしまう。ある意味現実には無いユートピアを求めた二人。花火はあの世とこの世をつなぐと言われる。もし花火を観ていなかったら、もし花火を観ていたら、もし光に照らされていなかったなら、と思う。

「皆さん、わたしは終わりに辿りつきました───また初めに戻りました。」

「わたしはまた、出発した地点に立ち戻ったものですから、わたし自身の生まれた場所も探します。」(子午線)

田中さんが劇中繰り返し語る宇宙論は、宇宙は無限ではなく、どこまでも進んでいけば出発点に戻るというものだ。言い換えれば自分の認識と現実にズレがあれば到達すべき場所にはたどり着けないと言えるかもしれない。ユートピアを求めるのは悪いことではない。ただ彼女たちは出発点を見失ってしまったのだろう。田中さんが語る宇宙論では、出発点を見失うこと、つまり現実から目を背けること自分を見失うことは目的地を見失うことでもある。その点、門脇さんは違った。戸籍の無い彼女は母の故郷を夢見る。夢の続きを観る。けれどそれはリアルであり人間の本性だ。

パスカルとツェラン。ぼくらはどちらの子午線を選択するのだろう?

場所・人によって変わる「真理」を振りかざすのか?人間からケダモノ、ケダモノから人間、「両極を経て自分自身へと回帰」できるのか?いずれにしてもボクたちは子午線の途中で蠢いているのだろう。

 

2022年5月15日(日)13:00

北海道立道民活動センターかでる2・7にて観劇

text by S・T

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