不惑世代に刺さる  のと☆えれき『葉桜とセレナーデ』

札幌では中堅どころに当たる40代の男性ユニット「のと☆えれき」。産婦人科病院の待合室で、それぞれに事情を抱えた「父親」たちが人生の悲喜こもごもをコミカルかつシリアスにみせる。ベテラン2人の演技は安定感抜群で、一緒に行った小劇場初観劇の女性も引き込まれていた。一方、脚本の弱点に起因する詰めの甘さはあり、やや中だるみも感じた。

「父親」たちに役名はない。そのうちの1人(男①、能登)は冒頭、入院している妊婦の夫を名乗り、いろいろと入院用の荷物を持ち込んでくる。待合室にはもう1人(男②、小林)の男がおり、「妊婦の夫」に激しく注目している。この時点で観客はまず男②の言動を注視し始める。

男②は割と早い段階で自らが「妊婦の父」であるという立場を開かす。観客にのみ情報が開示されたことで、何も知らない男①に対する男②の言動の面白みが増幅して伝わる。最初はどこがセレナーデかと思ったが、病室にいる娘を思ってその窓の下で物語が展開する点が該当するのだという。

ト書きは淡々としているが、俳優の魅力で乗り切っている。動揺していないことを示すために「あり、おり、はべり、いまそかり」と言ってみたり、チェッカーズのメンバーを全員言うなど寒々しいギャグも、小林が感情過多の人物を憑依させておかしみを生む。小林は急に感動して泣き出したかと思えば一瞬で落ち着くなどさすがの情感コントロール。言いよどんだりするときの間のとり方もいい。

能登は中盤まで受けの芝居だが、男①の事情も明かされてからは一転。40代を過ぎた人間なら思わず身につまされる切実さを身にまとい、言葉に乗せて放つ。男②の身勝手な事情に一切共感しない態度もシビアな人生を生きてきた人間ならこうあるだろうという現実感があった。

違和感を覚えた点もある。男①と男②がある種の和解を果たす流れは直前のやりとりからはどうしても急な展開に思えてしまった。さらに置き換えられない出産の痛みを男性に置き換える場面は完全に不要かつ女性への敬意を損なっており、それまで物語が積み上げてきた繊細さを台無しにしかねないと思った。書き手は女性ではなく子供を持つことが叶わなかった40代の大人でもないのだろう、と感じる当事者意識のなさ、軽さだった。

また冒頭、特に案内がないので無人の舞台をスマホで撮ったら係員に注意され、写真削除まで確認された。しかし終演後のアフタートークは撮影が許され、俳優たちから拡散も求められた。こうした経験は舞台になじみの薄い人を舞台から遠ざけてしまうと思った。

7月17日13時、札幌・シアターZOO
投稿者:シカタカオ

text by ゲスト投稿

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