暗闇の中に見えるもの 座・れら『アンネの日記』

暗闇を見つめる舞台だ。

場面が終わり、照明が落ちる。うす暗い舞台の上で、次の場面のセッティングがはじまる。その間、アンネが日記を朗読する声が流れる。ナチスに追われたユダヤ人の少女が、隠れ家で書いた2年間の日記だ。

朗読は、事前に録音したものを流しているのだろう。演劇を観ているとたまに、録音、録画したものが流れることがある。実のところそういうものにはちょっと不自然さを感じていた。舞台上では生のお芝居が演じられているのに、別の時間、別の場所で録った(撮った)ものが流れる違和感。

だからいつもは微妙に悪い効果を残していたんだけど、この舞台はちょっと違った。

場面が終わり暗転する。暗い中、役者は袖にははけ、スタッフらしき人が装置や小道具を次の場面のために適切な位置に直す。しばらくして役者が現れ、定位置につくと明かりがつく。次の場面がはじまる。

暗転の間はアンネの日記。録音された声だけがやや長めに流れつづけている。さきほども書いたように、それはちょっとした違和感だ。でも僕は、この違和感があっているような気がした。

アンネの朗読は、ここにはいない人の声のような、どこか遠くから、現実世界の声じゃないように聞こえる。そう、これはアンネの日記の内容だ。つまり彼女の頭の中の言葉。口から発せられたものではなく、脳内でつむがれた思考の流れ。だから、録音された声の遠さや違和感とあっているんだろう。

そして朗読がつづく間、うす暗い舞台の上では着々とセッティングが行われている。人や物が静かに動き、適切な位置へおさまっていくさまは、まさにアンネの脳内のようだ。思考が整理され、形作られていく様子が、暗闇の中で見える。

アンネたち8人のユダヤ人は、ナチスから逃げ隠れ家で身をひそめ、混乱と不安の中、生活をつづける。日中は物音ひとつ出せず、日に日に食料は少なくなっていく。恐怖と焦りで、人間関係も悪くなっていく。その中でアンネは、目にするもの、感じたものを日記に書きとめ、自分の中でだんだんと理解し消化していく。その姿が、場面の中だけではなく、場面の転換中にもあった。座・れら『アンネの日記』は、思索と成長の物語だ。

少し長めの場面転換、暗闇を見つめると、うっすら動く人や物が見える。わずかな明かりを背負いながら、静かに、しかし確実に形作られていく。それは、アンネの思考のよう、日記に書かれた思いのよう。明かりがつく。次の場面がはじまる。アンネがいる。笑っている。

 

公演場所:札幌市こどもの劇場 やまびこ座

公演期間:2022年7月30日~8月7日

初出:札幌演劇シーズン2022夏「ゲキカン!」

text by 島崎町

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