言葉とは。――パスプア『おくるないことば』

クラアク芸術堂の〝実験的なグループ〟だった「プロト・パスプア」が昨年活動を終了し、今回「パスプア」という新ユニットの初公演。メンバーは異なりますが、これは連続した意図のあるユニットと捉えてよいのでしょうか。そうであるなら、本作も身体表現を織り交ぜた方向性の作品なのだろうか、などとぼんやり考えながら席に着きました。

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幕開けは4人の演者による身体表現(舞踏)のみでセリフは一切なし。個人的にはココがちょっと長いかなあという印象でした。
(観劇後に上演台本を購入して知ったのですが)ちょっとあまりに具体的なストーリーを詰め込みすぎていたのではないかなあ。。。
もちろん小佐部さんは、それを具体的に全て読み取って欲しいと思っているわけではないと思いますが、何かを食べたりとか細かい表現が入ってくると、僕はやはり性分として、何が起きているのかを全て読み取りたくなってしまいます。(そして、恥ずかしながら僕には全く読み取れませんでした)

それとは逆に、ラストの女性パフォーマーは、無言であることの決意と、切り捨てたものの「哀しさ」みたいなものをとても雄弁に感じました。僕の勝手な感想ですが、小佐部さんは冒頭で「言葉のない表現の難しさ」を見せたかったのかな、と考えたりしました。
(…どうも僕は小佐部作品についてはつい勘ぐり過ぎるきらいがありますので(笑)あまり的外れでないことを祈ります)

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本作は、二組の恋人(女女、男女)を通じて、相手に言葉を伝えることの難しさを描くのと並行して、「新日本語」という情緒や個性を切り捨てた言語統制で全体主義に傾いていく危うい日本(ディストピア)を描きます。台本のあとがきで小佐部さんは「言葉の種類が多いことは、それだけ心豊かなことだと思う。」と書かれていますが、豊かさが失われていくことへの危惧は僕も感じていることなので、これについては共感する部分が大きかった。作中では、一人は言葉を捨てることを選ぶのですが、「それでもなお、私は言葉を重ねたい」という選択こそが小佐部さんの結論なのでしょうか。

問題を投げっぱなしにせず「僕はこう思うけど、あなたはどう思う?」と明快に語りかけるのが、昔からの小佐部作品の基本的なスタイルだと僕は思っています(例外もあり)。
ただし今作中で結論部分を明確に言語化していないのは、個々の観客に解釈を委ねる部分が大きくなってきているのかな、という感想を持ちました。その分、作品の広がりや余韻は感じるのですが、個人的な好みでいえば、。頭脳明晰な小佐部さんの結論を明快に突きつける作品を見たいなとも思います。

(僕が決めつけるものではありませんが、以前の小佐部さんだったら二組の恋人たちというマクロな視点ではなくディストピアの中枢を描いたんじゃないかなとか、第一幕はいきなり会話劇から始めたんじゃないかなとか。。いろいろ妄想を膨らませる楽しみはありました)

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今公演で導入されていた「#百円観劇プロジェクトシステム」にも触れておきます。これは正規金額3100円のうち、入場時に100円のみを支払い、残額は観客自身の判断で0〜3000円(あるいはそれ以上でも可)を出口のBOXに入れるといういわゆる「投げ銭」システム。

会場パンフや前説でも丁寧に説明があり、「払わないと帰りづらい」感は皆無でしたが、これは本人の性格によりますねえ。。僕は学生だったとしても「今月ピンチだからラッキー」とは思えないので、正規料金を払う余裕がなければ観劇に行かないかも知れません。はい、めんどくさい性格です(笑) 。
(もちろん、若年観劇者層を広げる効果は大いにありそうですが)

冒頭、テンポもそうですがひとつ間違えば冗長になってしまいそうなところを、咀嚼感のある会話劇で引き込んでくれた ともかさんと田中さん。雄弁なパフォーマンスで締めてくれた山田さん。ちょっと怖すぎ(ほめてます)のサイトータツミチさん。教文演フェスの短編演劇祭にも出場されるということですので、興味のあるかたはぜひそちらも。

2022/8/6(土) 19:00 カタリナスタジオにて観劇
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パスプア#01『おくるないことば』(2022/7/26〜8/7)
脚本・演出・音響・舞台美術:小佐部明広
【キャスト】
木村琴葉 役(ともか)
後藤ユウ 役(田中杏奈)
山田あいこ 役(吉田茜)
向井弘之 役(齋藤龍道)

text by 九十八坊(orb)

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