朗読とは? OrgofA 『虹より高く、あざやかに』

作・演出 髙橋正子

札幌の実在する同性カップル(女性)の日常を描いたリーディング公演。

怖れや憐れみを呼び起こすものは視覚効果から生じることも確かにありうる。しかし、出来事の組み立てそのもの、すなわちストーリーから生じる方が優位性を持ち、したがってまた、それがより優れた詩人の仕事に属する。ストーリーは、たとえ目で「見る」ことを伴わなくとも、[朗誦される]悲劇中の出来事を耳で「聞く」だけで、その出来事に怖れおののいたり憐れんだりすることが起こるように構成されるべきだからである。                                                アリストテレス『詩学』光文社古典新訳文庫p.100

朗読劇は初めてであったので期待して行ったが、実際は「役者が台本を手にして行われた演劇」に思えて落胆した(内容は良く面白い作品なのは間違いない)。瞬時に稽古途中の芝居を見せられたような気分になり、ボクは天井を見上げたり目を閉じたりして物語を聴いていた。

ドラマ・リーディングは、演劇用の戯曲を台本とし、演劇と同じように一人一役的な配役をして、朗読者一人一人が登場人物のセリフのみを朗読する、というものである。演劇をまねて、役に応じた化粧や扮装をほどこす場合もある。さらには、登場人物の表情や身振り、あるいは、さまざまな小道具や大道具の準備まで行う場合がある。これらは演劇俳優出身者の朗読に多くみられる。これは、朗読が「イメージに始まりイメージに終わる」ということの本質的な意味が、十分には理解されていない証である。登場人物に擬した中途半端な配役や化粧・扮装、あるいは、表情・身振り・動作などのさまざまな視覚的表現が、肝心な観客(聴き手)の頭と心の中のイメージの造形と転換をどれほど阻害し、破壊してしまうことか。そのことの深刻な意味が分かっていないのである。                                   東百道『朗読の理論』木鶏社p.277-278             

本公演は来年5月ということで、もとより朗読を極めようという思いは無いのでしょうから落胆するほうがおかしいのかもしれない。本公演とリーディング公演とで、どの様な違いが生まれるのかは楽しみであるが、比較のため二つの公演を収めたDVDの作成等を考えているのだろうか?リーディング公演を行った狙いとその結果を総括していただくことも期待したい。本公演を観ることができるとは限りませんので・・・。ということで本公演が来年なのにネタバレする訳にもいかない(個人的にはネタバレ大歓迎のタイプだが)。そこでリーディン公演が行われた令和4年の出来事を見てみたい。

衝撃的だったのは安倍元首相が銃撃により亡くなったことだ。犯行が旧統一教会(正確には協会?)の宗教2世によるものだったことが驚きに拍車をかけ、旧統一教会をはじめ2世関連の問題が連日報道されている。知っている人もいると思うが、実は2月に宗教2世の問題に関して事件が起こった。『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』(菊地真理子)とういうウェブマンガの第5話が削除され、その後すべての話が削除されたのだ。『週刊東洋経済10/8』の藤倉善郎氏の記事によると、集英社に対する宗教法人幸福の科学からの抗議が発端だったという。藤倉氏は自身が幸福の科学学園(幸福の科学が運営)のルポが学園から問題視され、民事訴訟を起こされたが完全勝利した。なのに裁判で明らかになった事実と変わらない内容のマンガが抗議によって削除されたと言う(現在文藝春秋社から出版されている)。教団について調べてみると教祖の長男が教団の暴露本を出版、長男と出版社を相手に裁判をしたり、長女は卒論での盗用が発覚(卒論を書籍にして出版したがゆえに明るみに出た)したりと大変そうに見える。

その幸福の科学を支持母体とする幸福実現党の石川信夫市議(栃木県下野市)が6月の市議会定例会で「パートナーシップ宣誓制度」に反対し、「できたら、静かに隠して生きていっていただきたいなっていうふうに思うんです。そのほうが私は美しいと思いますし、社会に混乱が起きないというふうに思います」と発言した。色々な考え方があるので反対するのはかまわない。しかし自らを差別主義者ではないと言いつつ「皆さんが知っている中でお話をするとすれば、旧約聖書にソドムとゴモラという創世記に載っているんです。その時代っていうのは、大変性的に乱れた時代でした」「あの世に帰ってから反省してください」と暗に「あなたたちのおかげで市が消滅するかもしれません」と言われると議論にならない。けれど検証可能と思われる金融経済政策ですら色んな学説・見解があるのだから、信仰信条をもとに発言したことを批判することはできないとも思え、ボクの胸にはモヤモヤが残った。

ただ心配なのはそうした宗教団体の中にも2世でLGBTQ+をカミングアウトできずに苦しむ人がいるのではないか?と想像できるところだ。誰の発言かは忘れたが宗教2世の問題は「宗教をキワモノとして扱ってきた結果」だと聞いて、成程と思った。宗教団体と正面から議論すべきとは言わない。ただある程度の関心を持つことは必要だと思う。世の中を変えていこうと思うなら。

今の札幌地裁的な「憲法十四条の平等原則から見たら、男女だけ結婚できるというのはおかしい。男と男、女と女も結婚出来て、それこそが平等だ」とういう考えは、憲法解釈上、やはり誤っていると、私は思っています。ついに裁判官もこのくらいまで“イカれてきたか”と思ってはいるのです。                      大川隆法『コロナ不況にどう立ち向かうか』幸福の科学出版p.187

結婚を望む人たちが当たり前に結婚できる。そんな当たり前のことが解釈によって良くも悪くもなる。当たり前のことだからこそ、解釈に左右されないように憲法を改正することが必要と思うのだが、それは「イカれた」素人考えというものなのだろうか?

本公演時、現在と少しでも状況が良く変わっていることを願う。

2022年10月30日(日)12:00

&vogue Galleryにて観劇

text by S・T

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