あのすばらしきバカシーンをもう一度 ぷらすのと☆えれき『沼部、陸へ上がる』

物語とはセラピーだ。

と思うことがある。しかもセラピーを受けているのは登場人物だ。

ラボチプロデュース ぷらすのと☆えれき『沼部、陸へ上がる』。沼を愛する男3人が、「沼部(ぬまぶ)」という活動をはじめるが、新種と思われるイモリを発見したことで思いがけず世間の関心を集める。記事になりテレビに出て、歌を歌ったりタレント的な人気が出はじめるが、ひとつの事件をきっかけに「沼部」は崩壊をはじめる。

という過去から12年後、というのが物語のスタート地点。そこにいるのはふたりだけ。ひとりの不在はなにを示すのか。彼らの話を聞きたいとフリーライターがやってきて、ふたりは「沼部」のことを語りはじめるが、なかば封印していた過去が彼らの前に現れる。あの日、なにがあったのか。

序中盤は軽快に、笑いもあって楽しい舞台だが、後半しだいにスリリングになっていき、目が離せなくなる。現在パートと過去パートの行き来で物語が紡がれていくが、場面の作りが丁寧なので混乱なく見られる。

過去と現在の切り替わりの軸として存在してるのが野村有志(オパンポン創造社)。現在パートでは「沼部」を取材に来たフリーライター、過去パートでは「沼部」のリーダー的な男(現在パートでは不在)を演じる。

野村はこの2役をくるくると演じ変え、後ろ髪を縛りメガネをかけているのが現在パートのフリーライター、髪を下ろしメガネがないのが過去パートの「沼部」部員というように、現在なのか過去なのか、目印としても機能する。

そして野村を軸としたこの切り替わりが、物語の構成だけでなくストーリーの重要な部分とも合致する瞬間が訪れるのだが、これは見事と言うしかない。

現在と過去を頻繁に行き来する構成は、表現としてはうまく切り替わるのだが、実際は切断されている。元「沼部」のふたりが現在の自分と過去の「沼部」を切断しているからだ。失敗した過去を受け止めきれないまま生きてきた。「沼部」以降の12年を不毛に生きてきた。過去と現在が融合することが必要だった。そうしないと先へ進めない。これは、空白の時間を生きたふたりが再び歩み出すための物語だ。だから冒頭「物語とはセラピーだ」と書いた。

彼らが先へ進むための方法は、切り離した過去と現在を結びつけること。そしてそれが、実際に舞台上で起こる。すばらしい。

「ぷらすのと☆えれき」というユニット名のとおり、本作は「のと☆えれき」に役者一名がプラスされる企画だ。気心が知れ抜群のチームワークをほこる札幌組「のと☆えれき」に、大阪の俳優、野村有志が加わり、舞台はより豊かに、よりスリリングになった。

札幌の舞台は似たような背格好の役者が多いのだけど、「のと☆えれき」とは違うガタイの野村が加わり見た目もよくなった。野村は演技としても、豪快さのある「沼部」リーダーと、おどおどとしたフリーライターを演じ分け、最終的には底なしの沼のような不気味さを生み出す。札幌の舞台で野村有志を観られてよかった。

いっぽうの「のと☆えれき」。能登英輔が演じる役は彼のよさが存分に出ていた。「沼部」がある事件で解散して以降、タレント業やタレント養成スクール講師など渡り歩き、EDを直すために大麻に手を出して執行猶予中という、これだけ聞けば感情移入のしづらい不快な役のようだが、能登が演じると嫌悪感なく、不思議と引きこまれてしまう。大麻で有罪になり執行猶予中なのを、宿題忘れちゃったごめんレベルに思せるような稀有な軽さを持っている。

小林エレキはじくじくとしたクセのある役だ。能登演じる先ほどの男とは真逆で、宿題忘れたことを大麻で逮捕くらいの悲惨さで語ることができるような男だ。しかしこの人物が本作最大の笑いの場面を作りあげるのだから、物語のすごさというか、役者のよさというか。この笑いの場面は必見で、いつ、どんな場所で演じられても爆笑間違いない、ほんと、お芝居でここまでおかしいシーンは……正直、いまこうやって書いてても笑いがこみあげてくる……くらい面白すぎる! この場面を観たくて何度もリピートしたくなるくらい。バカすぎて最高。

さて今回は「ぷらすのと☆えれき」制作サイドから「札幌観劇人の語り場」に感想書いてくださいという招待があり、観劇させていただいた。気になったことなんでも書いてということなので以下書きます。

お芝居観にいってたびたび思うことのなのだが、フライヤーや当日パンフ(紙一枚のもの)に役名が入ってないことがある。役者名は当然書いてあるのだけど、役名を記さないのは疑問だ。本作は公式サイトにも記載がない。感想書きにくい! っていう個人的な憤懣も大きいのだけど、観終わって劇の感想をだれかと言いあうときに、役名を出して語りあえた方がいいと思う。

劇の内容のことで気になったことは2点。「沼部」の人気が出て世間からも注目された、という部分の実感があまりなかった。沼で地味に生きていた水生生物が陸へ上げられたわけで、そこの異質感や地に足のついていない様がもっとほしかった。

もう1点。「物語はセラピーだ」と僕も冒頭書いた。しかしその部分はくどく感じた。そこまで語らずとも伝えられる方法はあるはずだ。そこにいたる終盤が、過去と現在、幽明境、ウソと真実、現実と幻想、それらが沼で溶け合うような神秘さがあったので、余計にそう思った。

そうだ、あの沼だ。舞台上、本来そこにはない沼がたしかにあった。臭いがした、湿度を感じた、小さな虫が耳のそばを通る音までも。沼を出現させたスタッフワークはすばらしく、照明、音響、舞台美術の力も称えなければならない。

残念ながら札幌公演は終わってしまったけど、このあと大阪、東京公演が控えている。多くの人の目にとまるだろう。本作のできはよく、「ぷらすのと☆えれき」の代表作になると思う。ふたたび札幌で公演されることを楽しみに。あのすばらしくもバカらしい場面をもう一度観られることを願って。

作:泊篤志(飛ぶ劇場)

主催:ラボチ

2022年11月5日(土)14時回 シアターZOO

text by 島崎町

SNSでもご購読できます。