作・櫛引ちか 演出・田村咲星
弱く守るべき存在と思われていた女の子であるルイが、周囲の人間を狂気に引きずり込んでいく物語。
仲良し高校生4人組(ナツキ・タケル・メイコ・ヒロキ)が秘密裏に匿う同学年のルイは、親から虐待を受け家出したと思われていた。だが本当は親を殺害し逃亡していたのだった。彼女を守るための秘密を共有する魅力に憑りつかれ殺人まで犯してしまった4人組は、キャンプファイヤーを囲むように歓喜の中焼身自殺に誘導されるのであった・・・。
と、ぼやけた説明をしているのは個人的な諸事情により集中を欠き、理解していないところが多々あるからである。実は秘密基地が何なのかすらボクは理解していない。「森の中人があまり立ち寄らない建物、入ったら怒られる場所」くらいの認識である。ところどころボーっとしていても何となく分かる作品は良い作品だとボクは思っている。物語の構成がしっかりしていないと、人物がきちんと作りこまれていないと、そうはいかないだろうから。
例えばメイコの彼氏。マンガ家を夢見るが実際には何らかの賞に応募することもバイトをする事もなく、デート代は全部メイコに持たせるゲスな男。メイコを束縛するあまり追跡アプリでメイコの行動を辿って秘密基地の存在を知ってしまう。結果4人組に縄で拘束されるのだが、メイコに助けを求める際プレゼントに用意していたアクセサリーを見せる。20万円ほどするらしい。そんなにお金があるのなら食事代だせよと言いたいところだが、屈折したプライドを持つ彼氏はマンガが売れ有名になってからでないとプレゼントできないと考え、有名になったら食事代も「折半」する気だったらしい。それでも折半かよ!と突っ込みたくなるところだが嘘をついている様子もなく悪気も無かった様子。その証拠に本来なら「縄を解いてくれ」と言うところを「許してくれるならプレゼントを受け取ってくれ」と言う。ゲスな男からちょっと可哀そうな男に思えてくるが、秘密を守ることが最優先となったメイコに彼氏の思いが受け入れられることは無かった・・・。
そのメイコであるがヒロキの友達が秘密基地に辿りついたときの「秘密がばれちゃった」という言い方が「躊躇なく殺る気満々」と分からせる言い方で怖いものがあった。その友達の位置取りが出口からあまりにも遠く、その絶望感はトラウマレベル。人間は一見普通の人でも本当に狂うことができるので若い人は気を付けて欲しい。退路は常に確保、知人に定時連絡が望ましい(ボクは知人に3時間連絡が無かったら警察に通報してくれとお願いしたことがある)。
それにしても観るのが辛い作品だった。おそらく大人の方はそう思ったのではないだろうか?ルイが、その姿を見せた時からの怯えた感じは特に説明がなくとも「親から虐待を受けていた」と伝わってくる(中盤虐待を示す描写はあった)。胸が痛み、大人として申し訳なく思った。
集団の方針を決めるために多数決がとられるが、何かがずれていく。多数者の専制を見ているようだ。そして秘密を守ることに魅入られた4人が周囲から分断されていくのを見る時も、大人として申し訳なく思った。なぜなら4人組に信頼するに足る大人がいれば、こんな悲劇は無かったと思えるからだ(虐待と認識したなら子供たちだけで問題解決は無理なのは分かるはず)。児童虐待や宗教2世の問題がメディアから流れてくるたび何とも言えないやるせなさを感じる。それと同じだ。家庭の中のデリケートな問題ではあるが何とかできなかったのかと・・・。かといってボクにできるのは自分の心情を駄文で吐露するだけなのだが。
疑問はある。ルイとは何者だったのか?ボクは序盤ナツキがルイの手を取ったときの反応で「死人?」と思ったのだが食事もするし雑誌のプレイボーイを読んだりしていて生きてはいるようではあった(親を殺害しているのに誰が捜索願を出したのか?学校は出さないよね?それとも捜索願を出させてから殺害?)。
しかし「秘密」という言葉で巧妙に人間の心を縛る魔力的な力は尋常では無かった。破滅した人生に他人を巻き込みたかったのか?虐待によって、自己を守るために生まれてしまった狂気。その狂気に本人は気づいていないようでもある。むしろ最後の笑みは4人組を死によって救済した喜びの笑みにさえ見えた。あの4人組を惹きつけ誘導する力は「死人」になることによって得た可能性を残しておきたいと個人的には思う(そうでなければ救いが全く無い)。
世の中には善意の人は多くいるが、善意につけこむ人もいる。4人組はどうしたらよかったのか?ヒロキは警察が大変な労力を使って捜しているから秘密にすることをやめようと提案をしたが、多数に押し切られてしまったのは残念だった。感情や空気に流され善意を利用されないように(メイコの彼氏のことと、入ってはいけない場所に行ったお咎めを受けたくない保身もあったが)体系的に考えることができていたら・・・と思う。最後に西部邁氏の言葉を紹介して終わりにしたい。
「連赤」のむごたらしいリンチの顛末が報道されるにつれ、私は「道徳的反省」というものを生まれてはじめてやらざるをえない破目に陥った。道徳について体系的に考えるという作業を怠ってきたせいで「連赤」に多少とも思いを寄せるというような醜態にはまったのだ、とつくづく思い知らされたわけである。
『寓喩としての人生』徳間書店 176ページ
2023年4月7日(金)19:00
演劇専用小劇場BLOCHにて観劇
text by S・T