瞑想子の選んだ2作品+1
■劇団た組『ドードーが落下する』 2022年10月22日クリエイティブスタジオ
特に序盤、だらだらと続く他人の日常会話を聞くのが苦痛だったが、中盤から引き込まれた。都会に生きる現代の若者(?)の孤独の様相をよく捉えている。持たざる者同士のつながりとギリギリのセーフティーネット(江戸時代の長屋よりもかそけく)はこのようなものか。「笑い」「面白さ」という、時代と気分によって変容する他者の感覚に評価を委ねざるを得ないものを、輝かしく仰ぎ見て必死に承認を求める様子はしみじみと哀れ。なんとも哀れな、必死に現代を生きる私たち。
■マームとジプシー『COCOON』 2022年9月17日だて歴史の杜カルチャーセンター
2014年に同じく伊達市で観た『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと』は、今思えばシンプルだった。上演時間の流れの中で通常なら薄れていくセリフ・シーンがリフレインによってクレッシェンドされ、演劇的な想像力が駆動する。鮮烈だった。
2022年の『COCOON』では、視点の変更・シーンの繰り返しがやや冗長に感じた。一方で、本作は舞台上で同時進行的に様々な演出が成されており、非常に描き込みが多い(情報量が多い)ため、せわしなくも感じた。観劇後、「某児童文学の講座では(描き込みの多い現代絵本に対し)時代を超えて読まれてきた名作絵本の特徴を『余白が多く想像力が働く余地がある』と捉えていた」と同行者に言うと、「現代のネット慣れした(すぐ気が移る)観客にはこのように細部まで様々に盛り込んである作品のほうがいいのでは」との見解。なるほど。完成度の高い美しいショーのような作品だった。様式の完成か。
■その他、記憶に残った作品
雪の中、江別市まで行って有名な作演家・劇団の来道公演を観た。驚いた。これがそれか、と。原作由来の面白さはあるが、ドタバタ感と不揃い感と内輪感が強く、わかりにくい。「戯曲には普遍性を、演出には新しさを」とは誰の言葉だったか。これが目指すべきところとされているのだろうか。それとも、既に超えた人たちの無言を紐解くべきか。
text by 瞑想子