作・櫛引ちか 演出・菊地駿斗
人付き合いが苦手な高校生の猪俣(中禰󠄀颯十)が転校してきた女優のMINAMO(長岡柚希)に、有名人ならではの孤独とでもいったものが「有名人になったらわかるよ」と言われ、それをきっかけに自分も有名人になっていく物語。
とはいっても猪俣がMINAMOと言葉を交わしたのは一日だけで、彼女は学校を休み続け結局辞めてしまう。しかし彼女が残した言葉を胸に、猪俣は多方面に能力を発揮し有名になっていく。大学生になり親友(尾崎史尭)に裏切られ、引きこもりになってもネットコラムのライターになり仮想通貨でも成功し多額のお金を手にした。
そんな時にMINAMOから会いたいと連絡がくる。スキャンダルで世間から叩かれていた彼女は隠れて暮らしていた。「他の誰かを幸せにしてあげて」「私の事、もう少し忘れないで」といってMINAMOはまたも猪俣の前から去っていく。
MINAMO(本名:青木光里)の出番は少ない。しかし二人の出会いが物語の発端であり、再会によって猪俣がネット上で人々の悩みを聞く活動を始めなければ彼が「神」にまつり上げられることはなかった。そして彼が望むことなく生まれてしまった宗教団体が爆破テロで殺人を犯すことも。
出番は少ないのに物語は意図せずとも彼女の影響下にある。なので次はいつ出てくるのかと待ちわびていると「猪俣氏の半生を書いた本は事実と異なるとして、女優のMINAMOが名誉棄損で猪俣氏を訴えました」との主旨のニュースが流れ終演となった。
今まで見せられていた二人の関係はなんだったのか?多くの人にモヤモヤが生じたであろう。山田裕貴主演の『ペンディングトレイン』ばりに観客の考察が分かれるところである。(ちなみにボクは危機は回避できなかった派。主人公たちが未来を変えたのなら2026年に到着した時がパラレルワールドとの分岐点と考える。そもそも未来から戻ったことが最大の因となる訳だから。それに危機回避後だとしても手紙のある世界と杉本哲太のいる本来手紙の無い世界は繋がる前に方向転換になると思う。杉本哲太は宙ぶらりん状態になるはずである。)
ボク的にはMINAMOが本を読むことも想定しているはずだから猪俣が嘘をつくとは思えない。あくまで主観だから多少の食い違いはあったとしてもだ。再会したとき、本当の自分を誰かに知ってほしかったと見せた胸の内はMINAMOの本心に思えたし(二人きりで嘘をつく必要は無い)、彼女がお金目当てで訴訟を起こすタイプにも見えない。
不幸にも事件に巻き込まれ、誤解を解くため自分の半生を本にして「誰かの意識の中にいたい」という猪俣は、誹謗中傷に苦しみ「本当の私を知って欲しかった」というMINAMOにどこか似ている。
「表現することをやめられない」と本を書いたのが猪俣なら、女優のMINAMOはどうしたいだろう?「演じたい。自分の芝居を多くの人に観てもらいたい」と思うのではないだろうか?
干されてテレビに出ることができないMINAMOは猪俣相手に訴訟を起こすことで現状打破を狙ったのではないか?悪意は無い。自分の言葉に影響されて有名人になった猪俣ならこの芝居に付き合ってくれる。演技をすることは彼女にとって普通のことだ。芝居と本音を織り交ぜた「複雑な」コミュニケーションが猪俣とならできるんじゃないか?そこには恋心とは違うけれど猪俣に対するMINAMOの信頼がある・・・。
そうあって欲しいけど、ちょっと甘ったるいでしょうか?『ペンディングトレイン』のモヤモヤも好きだけど『Dr.チョコレート』(主演:坂口健太郎)の甘ったるいラストもいいな~と思う今日この頃であります(猪俣がMINAMOに会うために嘘を書いた可能性もあるが、それもまた甘ったるい。ちょっと怖いけど)。
※ボクが初めて櫛引作品を観たのは「我等、敵モドキ」(北海学園大学演劇研究会からの派生ユニット)2022年9月の『罪累』(旗を揚げきってなかったらしい)で「短編ながらも上手くまとめたな。こんな感じで2作目3作目と枯れずに書けたら本物だな」なんて思っていたら『偽物共』『私の秘密基地』(2作品とも演劇研究会)そして『悪名』、この間およそ9カ月(その期間には役者としての活動もある)。枯れる気配は無い。櫛引ちか恐るべし、である。
2023年6月25日(日)17:00
演劇専用小劇場BLOCHにて観劇
text by S・T