脚本・演出 ホンザワ 「カーリング大好き」「やべーやつ専門学校」「観察部屋」の短編三作品。
「『カーリング大好き』は名作にしたい!」と意気込み、自信をのぞかせていたのは「えいと」さんである。稽古期間中、勤め先の居酒屋で、カウンター越しに語っているのをボクは日本酒を飲みながら聞いていた。ゴマにの言う名作ってどんなだろ?なんて思っていたが、公演初日の感想ツイートを見てみると「大人に怒られろ」「法律の詳しい人に・・・」等、不穏な空気が漂う。何が劇場で起こっているんだ?といざ観劇。「ヤップに始まりヤップに終わる」一見カッコいいこと?を言っているがカーリングを模した命がけのバトルものであった。対戦相手はロコソ〇ーレ!吉〇姉妹に鈴〇夕〇、ラスボス藤〇五〇は身長7M!舞台上ではゴマにの二人が巧みにデッキブラシを操り、スクリーンに誰もが知っている画像を加工してのバトルシーン。ゴマににしては珍しいハッピーエンドで「加工した写真の使用など可愛いもんじゃないか」と思っているとスクリーンにはエンドロール、なんと出演者としてロコソラー〇のメンバーの名前が流れてくるではないか。他にもスタッフとしてちらほら無関係な人の名前が出てくる。極めつけは監督「宮崎〇」である。劇場には笑いとともに困惑の空気が漂うのも無理はない。各関係者が観たら何というだろうか・・・。まぁ問題ないだろうとボクは思った。誰もカーリングチームのメンバーを観たくてお金を払ったわけではないし、彼女たちを応援したくて観劇した人はいない。つまり彼女たちの起用?によってゴマには利益を得てはいない。いわゆる劇中劇の範囲。「宮崎監督作品を騙りやがって!」なんて訴える人がいたら驚きである。繰り返す、子供にも分かるふざけた劇中劇、遊びなのだ。ホイジンガも『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ選集1、p.23)の中で言っている。
遊びは「ありきたりの」生活でもなく、「本来の」生活でもない。そこから一歩踏み出して独自の性格をもった活動の仮構の世界に入るのが遊びだ。小さな子供でも、彼は「ただそのようにふるまっているだけ」で、それは「ただふざけて」いることだと完全に知っている。
遊ぶことができる人間は、単なる機械仕掛け以上のものとホイジンガは言う。「我々は単なる理性的存在より以上のものである。なぜなら、遊びは非理性的なものであるから」。そして「笑いの純生理学的機能が決定的に人間だけのものであることは注目に値する。アリストテレス風に言えば、「笑う動物」が「理性ある人間」よりいっそう明白に動物と対立する人間を特徴づけてくれる」とも言う。ホイジンガを読むと腹を抱えて笑った「理性からの卒業」を目指す『やべーやつ専門学校』が高尚なものに思えてくるから不思議だ。笑うことで、より人間らしくなれたかのようにも思える。
しかし、宇宙人の家族旅行を描いた『観察部屋』ではそんな笑いも吹き飛ばされる。札幌観光を楽しむ、3人家族の宇宙人が捕獲される。監禁中に会社から独立して洋食屋を始めようとする夫(ホンザワ)の計画が発覚。小学校受験を嫌がる娘(カジワラとまさき)。何の相談もなかった夫、親心が分からない娘に妻(えいと)の心労はピークに達する。「宇宙人も地球人と変わらんな」と胃の痛い思いで観ていると、仲直りした宇宙人家族が「家に帰ろう」と人間を躊躇なく殺戮する。人間だって家族を守るためなら敵を殺すことに躊躇は無いであろう。当然のことだ。たとえ敵にも家族があったとしても。そして宇宙人と地球人の対比というか、人種差別が無くならないのも事実である。人間賛歌から人間の業を見せつけるような3作品の組み立てが見事であった(こじつけ)。
今回は3回目の本公演で、前回より観客は増えたようだが満席には至らなかった。よりゴマにファンが増えることを望みたいところだが、今回のフライヤーをデザインされたMAYUKAさんの個展が12/5-12/24までmusica hall caféで開催され、なんと「ゴマに」をテーマにイラストを描かれるとのこと。土日はライブ等のイベントで見られないので基本平日のみだが、是非お友達を誘って見に行っていただきたい(ボクは友達いない)。そして次回の公演にも誘っていただきたい(ボクに友達はいない)。イラストから演劇への流れがあったら面白い。次回の公演、きっと客席はより埋まっていることだろう。
※個人的にはゴマにっ子新聞の方が怒られると思いました。
2023年11月12日(日)14:00
演劇専用小劇場BLOCHにて観劇
text by S・T