脚本・演出 らいか 治安維持法が制定された1925年の検閲官と、小説を書いている現代の大学生が図書館で出会う。議論から行動へ、歴史に影響を与えていく物語。
正直に言うとボクの理解力不足で過去と現代が図書館で空間的に何故つながるのか分からなかった。検閲官の特殊能力のようではあるが、はっきりした説明は無かったと思う。時代も大正ではなく大成(たいせい)であるとか、現代でも階級のようなものがあったりと設定が今一分からない。だったら西暦を使ってまで治安維持法とか出さないほうが良かったんじゃないかと思った。治安維持法の意味がずれているように思えたからだ。
旭川市出身の漫画家・藤田和日郎氏の作品で『からくりサーカス』がある。霊薬を飲んで超人となった「しろがね」と人類を滅ぼそうとする「自動人形」の戦いを描いたマンガである。登場人物の一人にドミートリィ・イワノフというロシアの「しろがね」がいる。彼が人間だったときは軍人であり、ロマノフ王朝を護れなかったことを後悔していた。彼がその場に駆け付けた時には処刑のあとだったのだ。
ここで『からくりサーカス』にふれたのは治安維持法が制定された理由を説明するためである。ロシア革命ではロマノフ王朝の王族が裁判することなく処刑された。そして世界革命を推進するコミンテルンでは「君主制の廃止」が方針となり日本共産党は「天皇制の廃止」を掲げることになる。ロマノフ王朝の最後と現代の皇室を重ねるなら、天皇皇后両陛下はもとより悠仁親王殿下や愛子内親王殿下、そして佳子内親王殿下が銃で撃たれ銃剣で刺殺されるのである。そんなことがあってはならないと制定されたのが治安維持法である。
今作では大学生と議論することで考え方が変わった、とういうか自分に正直になった検閲官は取り締まるべき本をわざと見逃す。そのため処刑されるが大学生は自分のせいだとはつゆ知らず。なんとも痛々しい展開なのだが治安維持法で裁判もなく即処刑されるのはありえない、というか治安維持法で死刑になった人はいない。獄死した人はいたとしても。ゲーペーウーやゲシュタポとは大違いで外国人が聞いたら驚くらしい。裁判があるの?死刑になった人いないの?と。
社会学者の清水幾太郎氏は『戦後を疑う』の中で「それ(治安維持法)によって拘禁され、投獄され、獄死さえした先輩友人のことを思うと、口にするのが堪らなく辛いのですが、しかし、治安維持法の成立は自然であったと思うのです」と述べる。政府の「身になって」考えればと。
「ぴあ」とはpeer(仲間)のことらしい。仲間がいればそこがユートピアと言うことだろうか。平塚らいてうをモデルにした?人物からは世の中に対する憎悪を感じた。ユートピアを目指す若者にチェスタトンの『正統とは何か』から次の言葉を送って感想を終わりたい。
「人間は、世界を変えねばならぬと思うくらい世界を憎みながら、世界は変える値打ちがあると思うくらい世界を愛することができるかどうか。」
「人びとはローマが偉大であるからローマを愛したのではない。ローマは人びとがローマを愛したから偉大となったのだ。」
今年のTGRも終わったばかりではあるが、ボクの若い人たちに期待してしまう気持ちは今も変わってはいない。
2023年12月15日(金)19:00
演劇専用小劇場BLOCHにて観劇
text by S・T