もっとも近い他者 弦巻楽団『ピース・ピース』

あれ? もう終わったの?

気がつくと劇は終わり、カーテンコールを迎えていた。もともと70分だから短めだったとはいえ、あまりにもはやい。僕はしばし、ぼう然とする。

よい劇ほど時を忘れる。自分がどこにいて、なにをしていたのかがわからなくなる。物語に飲みこまれ、自分という存在が消えていく。どんどんどんどん、消えていく。いつの間にか、僕は劇と一体となっている。

弦巻楽団『ピース・ピース』は変わったお芝居だ。3話のオムニバスで、3人の役者が「語り手」「母」「娘」の3役を演じ、1話ずつ役を交代していき、全員が全役を担って終幕する(出演は赤川楓、佐久間優香、佐藤寧珠)。

異様にカッチリした形式だ。しかも舞台は簡素。イスが3つと「語り手」が語る本、それぞれが履く靴、それくらい。

「語り手」が語るのは自分と母親の物語。「語り手」が語りはじめると、「母役」と「娘役」によってその場面が演じられる。語りは止まることなくつづき、演技もつづいていく。ふたつが平行して舞台上で行われる。

ベケットみたいなのか! むずかしい前衛劇か? と思われるかもしれないが大丈夫。語られる物語、演じられるシーンはとても面白い。

だけど明確なストーリーがあるにもかかわらず、この3作がいったいなにを描き出そうとしているのかと問われると、一瞬戸惑う。えーとそれは母と娘の物語で……と。ここがこの劇のユニークなところだ。

こんなにもカッチリとした形式を持ち、語り手が自分の物語を語るという揺るぎなさもあるのに、一言では言いづらい。それは僕たちの心の中に“なにか”なはずなのに。

だからこの劇を観終わったあと、あなたはだれかと話したくなるはずだ。いったい自分の心の中にあるものはなんなのか、ほかの人はどう思ったのか。あるいは逆に、ひとり静かに考えたくなる。じっと、濃いコーヒーでも飲んで、深々といま観たものを反芻したくなる。

本作ははじめに小説の形式で書き、それを戯曲化したものだという。面白いもので、おなじ作者なのに媒体が違うと作風が変わることがある。『ピース・ピース』もそれに近い。僕がこれまで観た弦巻楽団の作品とはけっこう違っていた。

おそらくはじめから戯曲として書いていれば、もっとストーリーが動いたり、もっと明確な言葉で説明できるものになっていたのかもしれない。しかし小説からスタートしたことで、これまでとは違う表現、違う語り、違う出口から新たなるものが生まれたのだ。

物語をぎゅーっと絞ったときに出口からなにが出てくるか。演劇と小説で違ったのだ。そうして小説として出てきたものを演劇として再構築したことによって、小説的であり演劇的であるような、未知なる舞台が生まれた。

この物語は、母というもっとも近いところにいる他者と、そんな母との関係から浮かびあがってくる自分という存在を描き出す。時を忘れて物語に飲みこまれ、気がつくともう終わっている不思議な舞台。

観終わって僕は、いますぐつづけてもう1回観られるよ、という思いだった。2周つづけて観ても飽きない、いやもっと楽しめそうな気すらした。

まるで、何度読んでも飽きないお気に入りの短編集に出会ったような、そんな体験だった。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2024年1月27日~2月3日

初出:札幌演劇シーズン2024冬「ゲキカン!」

text by 島崎町

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