他人事ではない生の対話 おきなわ芸術文化の箱『9人の迷える沖縄人~after’72~』

この「ゲキカン!」で僕は『12人の怒れる男』を3回観て3回書いた。2015年夏、2018年夏、2022年夏。ずいぶん書いたなと自分でも思うけど、まさかもう1本くるとは!

おきなわ芸術文化の箱『9人の迷える沖縄人~after’72~』は沖縄版の『12人の怒れる男』だ。1972年、沖縄の本土復帰を控えたある日、新聞社に集まった9人が沖縄の「いま」について語りあう。

2015年の初演以来再演を重ね、この夏、札幌演劇シーズンにプログラム・ディレクターズ・チョイスとしてやってきた。そもそもこの劇は、演劇シーズン2015年夏のELEVEN NINES『12人の怒れる男』を観て着想を得たというから、北と南でなにか大きな輪が繋がった感がある。

僕は舞台『12人の怒れる男』を3回観て、映画の『十二人の怒れる男』もたぶん100回くらい観てる。一室に集められた人たちが、共通の目的に向かってひたすら議論するというフォーマットは鉄板。やっぱり面白い。

『12人~』は、殺人罪に問われている被告を陪審員が議論して有罪か無罪か決めるという点で観る者をぐいぐい引っぱっていくのだけど、『9人の迷える沖縄人』は違う。議論はするが投票はしない。

そもそもこの物語において、裁かれるのはだれ(なに)なんだろう。いや、裁いてもいないんだ。沖縄について、当事者である自分たちが思いを語り、そして相手の意見を聞く。結論を出すための討論劇ではなく、自己の思いと他者の思いを知り、沖縄のことを深く考える対話劇だ。

『12人~』では、被告と関係ない人たちが討論し、そのなかで自分というものがしだいにあぶり出されていくという仕掛けだった。だけど『9人の迷える沖縄人』の登場人物はズバリ当事者たちだ。

他人事ではない生の対話がここにある。だからこそ白熱するし、近すぎるがゆえの沈黙も生み出す。痛切さが心に響く。

そういった意味で『12人~』よりも直接的な話になるのだけど、ひとつ工夫がある。劇を観た人にはわかるのだけど、このお芝居は多層的な構造になっている。そのことによってストレートな対話劇ではなく二重三重に思いが重なっていく。

簡単には割り切れない人の心や、揺れ動く(揺れ動かされてきた)沖縄の現状がこの構造によって可視化、舞台化される。よりドラマチックに、よりスリリングに。

いっぽうでこの舞台はシリアスだけでなく、笑ったり楽しんだり、お芝居が持つ明るさを合わせ持つ。

沖縄から直送された本場の「うちなーぐち」は、独特のリズムと抑揚でまるで歌っているかのようだ。はじめはポカンとしてしまうけど語り口にどんどん乗せられていく。

役者の個性、テンポも札幌のものとはちがう。「復帰論者」役の犬飼憲子(芝居屋いぬかい)を筆頭にオフビートでリラックスした笑いがあり、「文化人」役の宇座仁一(宮城元流能史之会)のおおらかな「陽」性はやっぱり太陽が照りつける地域の人じゃないと出せない魅力があるんだなあと寒い国の人間は勝手に思ってしまった。

シリアスな議題のなかにあってほのぼのとする人間性や情緒、豊かな文化性を感じられたすばらしいお芝居。暑い8月の琴似、コンカリーニョの舞台の上はまさしく沖縄だった。2000キロ以上離れた沖縄が、こんなにも近しく感じられてうれしかった。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2024年8月10日

初出:札幌演劇シーズン2024「ゲキカン!」

text by 島崎町

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