そんなワンダーなことも書けるのか 苫小牧東高校演劇部『やっぱり、こっちがいい』

脚本がいい。

もちろん演出や仕掛け、役者もいいのだけど、やっぱり脚本がいい。

とにかく活きがいい。描いているひとつひとつが跳ねている。“その人”でなければ書けない脚本であり、もしかしたら“この時期”でなければ書けない脚本なのかもしれない。

手慣れた脚本書きならさーっとならして平坦にしてしまうようなところを、出っ張ったまま、へっこんだまま、そのままにしてズイズイ押し通していく。この感性がずっとつづくのか、それとも凡百の脚本家とおなじようにいつかさーっと平坦にならすような書き手になるのか、それはわからない。

だけどいまは。すくなくともいまはこれが書けている。

苫小牧東高校演劇部『やっぱり、こっちがいい』。風変わりなマスターというのは控え目な表現で、まあ変人といっていいけどどこか憎めない男がいる喫茶店が舞台。そこに下校してきた高校生たち。女子グループと男子グループがやってくる。

メインとなる話はもっぱら恋愛だけど、描き方がおもしろい。ひとつの筋らしきものはあるのだけど、話はあっちに飛んだりこっちに跳ねたり。過去の宿泊研修話や人気アイドルの四股騒動、だれとだれが付き合って、別れた、元カノ、元カレ……それらが男女2つのグループで別々に語られ、エピソードは散逸するけどいつしかそれが結びついていたり(これは人間関係と相似する)。

物語を、そして舞台上を自由自在にあやつるマスターは作・演出の晴山能の分身だ。この役がひたすら道化で、あざとくドラマをつくらないところがいい。はじめから終わりまで変なマスターで、それでいて本編にからみつつ、なおかつ彼の功績はなにもないところがすてきだ。これは演じた澤田彪哲の軽やかな演技のおかげでもある。

本編において男子2名が掛け合いを繰り広げるところははっきりいってコントや漫才の間や演技で、通常のお芝居とはまったく違う。しかしセリフの速度を上げ、次から次へと繰り出される語り、生み出される物語は実に痛快。いまこの場で舞台が作りあげられていくような、圧倒的なリアルタイム感があった。荻野永遠を演じた櫻井秀の語りの魅力もすごい。

終盤、とある展開で、3つの音がおなじ、というシーンがある。これだけバカをやり、ぶっ飛んだことを描いていたのに、そんな繊細な、そんなワンダーなことも書けるのか。そして舞台上でそれを表現できるのかともう恐れ入りました。ありがとう。いいものを観ましたよ(そのシーンの役者もよかった)。

とにかく自分がおもしろいと思うものを書いて、みんなで舞台の上で表現した。こんなすばらしいことはない。いつか消えるかもしれないし、いつまでも持ちつづけるかもしれないその感性を、さあつぎは香川の全国大会、ぶつけるしかないでしょ。

 

公演場所:かでる2・7

公演期間:2025年1月8日

初出:札幌演劇シーズン2025「ゲキカン!」特別編

text by 島崎町

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