脚本・演出 新井田琴江 大多数の人の肌が青色の世界で黄色人種の肌色で生まれた主人公が差別に負けず漫才を通して世に出ていく物語。
「人生が辛く苦しいなんて当たり前のことなのでそれらはあえて描きませんでした」
パンフレットにあった劇作家のこの言葉にボクはアーレントを感じてしまった。 ハンナ・アーレントはドイツ系ユダヤ人で、ヒットラー政権によるユダヤ人迫害から逃れるためアメリカに亡命した思想家である。つまり国家による差別で殺されかけた、言い方を変えれば周囲の人たちがナチズムに染まっていく恐怖を経験した人間である。そんな彼女が「世界への愛がこれほど困難なのはなぜか」(思索日記Ⅱ)と書いたのは1955年3月(『人間の条件/活動的生』の執筆中)であるが、その後の同年8月にカール・ヤスパース宛の手紙で「実はようやく近年になって、世界を本当に愛し始めた」と書いている。つまり数年前から世界を愛し始めたが、いざ本にしようとするとそれが困難と書いているのが切なく感じられる。彼女の辛く苦しい人生を考えれば当然と思う。
その活動的生とは人間の活動「労働」「制作」「行為」の総称で、行為は「物質、素材、人工物といった媒介によらずに人間どうしのあいだでじかに演じられる、唯一の活動」である。ほとんどしゃべらない主人公が漫才を通して世界に挿入されていく様はアーレントの思想に符号するように思えた。
「教育は、われわれが世界を愛して世界を愛して世界への責任を引き受けるかどうか、さらに、更新なしには、つまり新しく若いものが到来せぬかぎり、破滅を運命づけられている世界を救うかどうかが決まる分岐点である。」(『過去と未来の間』)
新しく子供が生まれなければ世界は朽ちていくだけである。子供の誕生が世界の希望なのである。その意味で主人公の出産場面が描かれていたのは興味深い。だが希望であるはずの誕生とともに差別されるであろう因を背負わすのは、生きることは苦しみとの人生観を表す象徴的な場面にも思える。そして子供の幼児性からの差別とでも言おうか、「肌の色がうつる(伝染する)」といった子供の頃には誰もが見かけたような悪ふざけの場面が差別の根深さを観客に突きつける。
しかし今作の特筆すべき場面は主人公が自分自身を差別するところだろう(コミカルに描かれていたが)。女友達に「(変な肌の色の男と)付き合える?付き合えないじゃん!」と主人公は吐き捨てるように言う。「付き合えるよ、バカ」との予想外の返答に面を食らうのだが、「差別はあっても当たり前なのよ」との有吉京子のマンガ『救世主入門』の台詞をボクは思い出した。差別問題に取り組むカメラマンがヒーラーから反論される場面である。自分が人より劣っていると感じたことがあるなら、自分と他人を差別する観念を持っているのだと。「自分を見下して差別するのはよくて他人を差別するのは罪なの?」「間違ってる差別だけがこの世からなくなると思う?」と言われたカメラマンは何も言い返すことができなかった。自分自身を見下し差別することを誰が罰してくれるのか?
「処罰しようがないと判明した犯行は、一般に、われわれに許すことのできない犯行でもある、という事実である。この罰することも赦すこともできないものとは、カント以来「根本悪」と呼ばれているものである。」(『活動的生』))
自分を他者と比較し差別する心は、誰も罰することも許すこともできない。差別してしまう自分を自分自身が受け入れるしかないのだろうか。それに例をあげればフェニミズムを語る人がパートナーに対して横暴だったり、外国人支援の団体内では留学生に差別的発言をする事例もあるらしい。差別はいけないことだが、そんな人間の性のような話を聞くと差別問題はボクにとって語りにくいものだと改めて認識するのである。
最後になるがアーレントは『暗い時代の人々』で国際政治学者のワルデマール・グリアン(著名な方らしいが業績を調べても分からなかった)を取り上げ、次の文で締めくくっている。今作の主人公に似ているので紹介したい。
「かれはかれの本拠をこの世界に築き、友情を通じてこの地上をかれ自身にもくつろげるところとしたのである」
2023年10月に再び始まったイスラエルとパレスチナの武力衝突は2025年1月19日から42日間の停戦にはいった。もしアーレントが生きていたら何を語るのだろうか?
※実はパンフレットを読んで連想した作家・作品が他にもある。北海道出身の漫画家、高田祐子の『百年の孤独』である。捨て子で施設育ちの女性がレイプにより妊娠し男の子を出産する。その母子の物語。母の日にカーネーションをもらったら息子に殺意を抱いてしまうほど自分に失望している母親。その母親に占い師でヒーラーでもある男が語りかける。「人間せいぜい生きて百年だ。百年ですむ」「人生は永遠に続かない。死んだら解放される。百年のあいだだけだ」と。読んだ当時、ボクは20代前半だったが泣いてしまった。あぁそうか、せいぜい百年なのかと。そんなマンガではあるが希望に満ちた終わり方をしているのでお勧めしたい作品である。できたら同作者の『Kissは天下のまわりもの』を先に読むと理解が深まる。ちなみに出会いから約30年後の今読んでも同じところで泣いてしまった。ボクはあまり成長していないのかもしれない・・・。
2024年11月28日(木)19:30
演劇専用小劇場BLOCHにて観劇
text by S・T