本作品の原作を読んだことのない人でも、「(真相は)藪の中。」という言葉は聞いたことがあるでしょう。
芥川龍之介の小説『藪の中』は、平安時代を舞台に、藪(やぶ)の中で起きた武士の殺害事件をめぐり、事件後の検非違使(裁判官)の事情聴取に対して事件関係者や目撃者の、それぞれ食い違う証言を綴った物語。真犯人を特定しようとする証言が次々と矛盾し、結局真相は特定できないまま物語が終わるという、人間心理の複雑さやエゴイズム、真実の曖昧さを鮮烈に描いた傑作です。
いつものように上手寄り前列に座を構え、客席から見える複数の壁(らしきもの)が並べられただけのシンプルな舞台装置を見ながら、さて最初は誰が舞台に現れるのかなと、僕は想像を巡らせていました。
舞台に照明が灯ると――
現れたのはかなり作り込まれた飲み屋のセット。 北八に回り舞台があることをすっかり失念していたのでこの予想外のオープニングになったわけですが、それより驚いたのは狭い店内で談笑する人々。現代劇だったんですね。(事前情報を全く仕入れていなかったので知りませんでした。)
店主の他には、若いパートナーと大学生のひとり娘。あとは全員、この店の常連のようです。柴田さん演じる店主はかなり我の強い人みたい。若いパートナーとは再婚かな。想像を巡らせながら店内の成り行きを見つめます。
今日はこのお店の開店20周年の記念の宴とのこと。賑やかに夜は更けていき、そして――「事件」が起こります。
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事件の真相をめぐって居合わせた人たちが順にその夜の出来事を証言し、いよいよ物語は『藪の中』の様相を呈してきます。微妙に異なる証言で「真実」がずれていく。登場人物たちのエゴイズムが露呈するとともに、物語は情に絡んだ展開を見せるのですが、このあたりは「納谷節」とでも言いましょうか、作家の真骨頂です。
この「納谷節」が僕にとっては結構クセモノで、過剰に役者の力技頼みになったり、心理描写に無理があったりすると、大事な場面になっても僕はスッと醒めてしまうのですが、今作は納谷節に傾いた瞬間に役者にピンスポットが当たり、原作『藪の中』のセリフをその役者のモノローグで挟むという、観客をその場からトンと突き放す構成が極上のカタルシスを生んでいました。
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柴田さん演じる店主はかなり厄介な性格で、「僕ならこんなお店の常連にはなりたくないなあ」と思ってしまいましたが(笑)、柴田さんの「納谷節」は過剰にウエットにならず独特の乾いた仕上がり。一人芝居で高い評価を受ける柴田さんと作演・納谷さんとの出会いは、新しい化学変化を生んだようです。
そして終盤に向けて、店主・柴田さんが独白するあるシーンがあるのですが…。ここに、この物語のたったひとつだけの真実があり、僕の勝手な解釈ですがあれは納谷さんの、盟友だった斎藤歩さんへの“献歌”ではないかと。そして、だからこそ、僕はあえてここはWキャストの納谷さんではなく、納谷さんがホンを通じて柴田さんに託した言葉で、この場面を体験してみてほしいとも思います。
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今回注目したのは、店主・柴田さんの若い再婚相手を演じる五十嵐みのりさん。どんな作品の空気感にも自然にフィットする若手役者さんとして以前から注目する俳優さんの一人でしたが、(いい意味で)力技が使えるエレキさんや柴田さんと対峙して一歩も引けを取らない姿は見どころのひとつです。
個人的には、これまで拝見してきた納谷作品の中で、(僕の好みとしては)今作がベストワン。
客出しでお声がけをさせて頂いた納谷さんは「芥川龍之介の(原作の)力です」と謙遜されていましたが、「納谷節」の中で真実の曖昧さを描いた本作の手触りは、過去の原作モノと比しても出色の仕上がりだと感じました。
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本作は後期公演を残しており、サスペンスの要素もありますので、あえて物語の詳細やネタバレに繋がる舞台演出の話は避けていますが、僕も後期に再観予定ですので、その後、感想の続きを書きたいと考えています。
次回の観劇記ではWキャストによる差や、初見では気づけなかった部分など、ネタバレを気にせずにもう一歩踏み込んだお話もできるかと思います。
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※2025年11月30日(日)18:30~ ジョブキタ北八劇場にて観劇
ジョブキタ北八劇場シリアスシリーズ 札幌劇場祭TGR2025参加作品
『納谷版~藪の中』
【前期】2025年11月29日(土)~12月7日(日)
【後期】2025年12月24日(水)~12月28日(日)
【あらすじ】
真冬の札幌、吹雪の夜。
とある飲み屋の周年パーティーで、ある騒動が起こる。
数日後、そこに居合わせた一人が遺体で発見される。警察はそれを事故死と判断するが・・・。
それぞれが持つ「あの日の記憶」。
それは語る者によってどこか食い違い、
視点がぼやけ、証言は互いに矛盾していく。
誰もが語り、誰も同じことを語らない。
果たして真実はどこにあるのか?
事実を突き止めることはできるのか?
真実と事実が、幾重にも交錯する・・・。
芥川龍之介が『藪の中』に描いた“証言の迷宮”が、
現代社会においてどこにでも起こりうる人間関係とシンクロする。
真実は、それぞれの言葉の中に
事実は、藪の――。
※諸般の事情により、当初予定しておりました「あらすじ」を変更させていただくこととなりました。なお、芥川龍之介作『藪の中』をベースに、「納谷版」として現代の物語として描くという本公演の趣旨に変更はございません。
【ご観劇予定のお客様へ】
本作品は、芥川龍之介『藪の中』をベースに創作しています。
作品中に、性暴力を想起させる描写や暴言・悲鳴などが含まれます。
不安を感じる方は、ご観劇前に劇場までお知らせください。
<キャスト>
■シングルキャスト
五十嵐みのり
内崎帆乃香
小林エレキ
坂口紅羽
明逸人
山野久治
小西麻里菜
■ダブルキャスト
大田黒ヒロタカ
神成悠平
菊地颯平
柴田智之
納谷真大
<スタッフ>
原作:芥川龍之介
脚本/演出:納谷真大
脚本部:町田誠也、梅原たくと
音楽:山木将平
舞台美術:高村由紀子
照明:手嶋浩二郎
照明オペレート:中田遥
音響:奥山奈々(Pylon Inc.)
舞台監督:上田知
技術監督:伊藤久幸
演出部:志田杏樹、坂口紅羽
衣装:橋場綾子、上總真奈
小道具:菊地颯平
プロデューサー:小島達子
宣伝アドバイザー:岩田雄二
制作・広報:猪俣和奏、田中舞奈、笠島麻衣
票券:澤田未来
宣伝美術:若林瑞沙(Studio COPAIN)
写真撮影:クスミエリカ
主催:一般財団法人田中記念劇場財団(ジョブキタ北八劇場)
制作協力:tatt Inc.
宣伝協力:北海道放送株式会社
キャスティング協力:Atelier柴田山、ELEVEN NINES、株式会社 太田プロダクション、HBC北海道放送
協力:さっぽろアートステージ2025実行委員会、札幌劇場連絡会
ネーミングライツ企業:ジョブキタ
オフィシャルパートナー:伊藤組土建株式会社、大和ハウス工業株式会社、大成建設株式会社、株式会社インサイト、JBEホールディングス株式会社
パートナー:株式会社札幌振興公社、スターツコーポレーション株式会社、株式会社あいプラン
text by 九十八坊(orb)