北海道短編エンゲキ祭‘23参加作品 脚本・演出:演劇家族スイートホーム 妻であり母でもある「ハルコ」の病をきっかけに、父と娘が家族の絆を深めていく物語。
脚本は劇団となっているが、おそらく物語の骨子は髙橋正子さんによるものと思う。『わだちを踏むように』でも家族を祖母から孫、その孫が出産するまでを描き、家族をワンジェネレーションで終わらせない描き方は今作にも通ずるものがあるからだ。祖母の存在をちらつかせつつ、思い出話や家族のやり取りから妻から母親、夫から父親へと在り方の変わる様を観客は見る。
娘「(父)親になって何か変わった?」
父「何も変わらないよ」
このやり取りにボクはドキッとした。記憶力が悪くて前後の文脈は憶えていない。そして母親にはこの質問はしていなかったと思う。この質問と答えにドキッとしたのはボクに子供がいない事が関係する。この質問に傷ついた、という訳では無く時折「親になったら何かが変わるんだろうな」と思っていたからだ。
けれど今作の父親は躊躇なく「変わらない」といった。ウソには見えなかった。なぜこのセリフを入れた?誰のアイデア?誰か自分の父親に聞いたのか?などなどボクの思考はグルグルした。また母親にこの質問をしなかったのは「女性は親になったら変わる」ことが前提なのだろうとも思った。
病名は忘れたが死の可能性もある病になった時「子供の事ばかり考えて夫のことは全く出てこなかった」と知人女性から聞いたことがある。「そういうものか」と思った。これが夫ならどうだろう?妻50%子供50%?もう少し子供が高いか?娘なら80%いくかな?と子供のいないボクは想像した。今作の父親が「変わらない」と答えたのは「子供が全てではない」という意味だろうか?よくテレビドラマや映画で妊娠中の妻が病気や事故にあって、母体と赤ちゃん、どちらかの選択を迫られる場面がある。たいてい夫は妻を優先するけど妻は赤ちゃんを選択する。どちらも間違いじゃないと思うし男女の違いとも思う。
ちなみに男女の違いと言えば妻に先立たれた男は脆いものである。若いうちなら分からないが老年に達してから先立たれると男は急速に老け込む。もちろん例外もあるが、それは見事なまでに老け込む。ひどいときはそれ程間を置かず・・・となる(ボクの父方の親戚もそうだった)。その点、妻のほうは夫に先立たれても元気なことが多いと思う。ボクの母も含めて(とても良いことである)。
実際は究極の選択の時以外、妻と母親の立場を切り離すことは無いだろうし意識することも無いのだろう。というのも妻と母親を対比させる構成のなかで、それを演じた竹道光希さんが妻であり母親であるその重なった部分を自然に演じているように見えたからだ。家族の中での女性像の一つの答えにも思えた(あくまで一つ)。
ツイートではダブルキャストの女性陣(もう一人は髙橋正子)が二人して「ほっこり芝居」と宣伝していたがボクには凄く重い内容だった。これも男女の違いなのだろう。ライフワークではないにしろ、ときおり家族を題材にする演劇家族スイートホーム。メンバーの中で父になり母になる人が出てきたら、また新たな視点から家族を描いてくれるのだろうか。楽しみである。
2023年7月16日(日)13:00
演劇専用小劇場BLOCHにて観劇
text by S・T