寺山修司をまるごと飲み込んで 風蝕異人街『青森県のせむし男』

寺山修司

とパソコンで打ったら、一発で変換できた(そりゃそうか)。でも、今、認知度はどのくらいなんだろう? 10代20代は知っているのか? 『書を捨てよ、町へ出よう』っていう言葉(書名)くらいは……知らないかな?

でも逆に、先入観なしでこの舞台を突然ドカンと観た方が、もしかしたらよっぽど楽しめるのかもしれない。かくいう僕も、実は全然くわしくない。過去に風蝕異人街の舞台「大山デブコの犯罪」(これは変換できなかった。そりゃそうか)を観たくらいだ。

で、今回、久しぶりに、寺山作品観ました。もう、圧倒的。冒頭、客入れの時からすでに、世界観への導入が始まっている(あの人はいったい何周したのだろう?)。そして、演劇シーズンのお知らせを語る人への無演出感! この舞台の美意識とは相容れない事務的連絡へはいっさい関わり合いを持たない、芝居の世界観とはバッサリ切り離してしまう思い切り!(背後ではあの人がまだ周っているというのに)

そうして、劇が始まって、思った。すごく、いい。1967年に初演されたということなので、ほぼ半世紀前の作品なのに、そうとは思えない新しさがある。柵を効果的に使った演出・場面転換、めまぐるしく変わるシーン、舞台両端の音楽組、流れ落ちる水の音。僕はこの舞台に、現代性をすごく感じた。

寺山修司を現代によみがえらせたとか、回顧したなんていうこととはまったく別の次元で、言ってしまえば、風蝕異人街が寺山修司をやるというよりも、風蝕異人街の方が寺山修司をまるごと飲み込んでしまったような作品だ。

だから初日、舞台が終わってから、しばらく拍手は鳴り止まなかった。僕も目頭が熱くなった。それだけの舞台だ。

もう1つ。この「青森県のせむし男」(←変換されない)を観終わったあと、これは極上のミステリーだなと思った。たぶん、探偵小説って言葉の方が似合うだろう。あ、ここからは観劇後の人のみ読んでください……

というわけで、この舞台はミステリーとして観ることができる。ある物事を追う主人公(女学生)は、しだいに深入りしていき、人知れず行われた罪を知ることになる。その真実がわかった時、物語はとても美しく、とても悲しい結末を迎える。そう、素晴らしいミステリーは常に悲劇で終わる。

真実がわかり、物語が終わる瞬間、幕は閉じない。むしろ開く。傷口のようにパックリ開いて、観客に、生々しい姿をさらけ出す。それは、光と闇、母と子、男と女、罪と罰、そして、生と死……そうだ、パックリ開いたのは、幕でも傷口でもなく、仏壇だった。

 

公演場所:シアターZOO

公演期間:2015年8月1日~8月8日

初出:演劇シーズン2015夏「ゲキカン!」

text by 島崎町

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