本編が終わったあと、さらに付け足しがある作品は好きじゃない。
トークとか音楽とか、なんであれ余計に感じてしまう。作品だけで勝負してほしい。あの余韻だけを抱えて劇場をあとにしたい。いつも思う。
ところが劇団コヨーテ『優しい乱暴』。本編のあとに矢野絢子ミニライブが30分あるが絶対に必要な30分だった。
付け足しなんかじゃない、余計でもない、本編のよさを引きあげ余韻を深く長く味あわせてくれてる最高のライブだった。
このライブをふくめての計1時間40分が『優しい乱暴』という公演だと言っていい。なので劇団&劇場の誘導も「本編のあとにミニライブがあります」ではなく「本公演はこのあとミニライブに移りますのでしばらくお待ちを」という形にした方がいい。
『優しい乱暴』は亀井健の美しい言葉によるやや難解な戯曲だ。途中までは、遙か遠い星では宝石のように価値あるものだけど、地球ではなにに使うかわからないパーツたちのように思える。
ひとつひとつは独特の美しさがあるのだけど、組み合わせがわからない。はたしてこのパーツはなんなんだろう? なんの意味が? と迷子になる。それらのパーツがラストに突如として噛みあって動きだし、ひとつの感動を生みだすのだけど、それでもなお、使えたのかわからない不可解なパーツも残りつづける。
そのあとに矢野絢子のミニライブがはじまる。そこで歌われる『八十五歳の女の子』という曲こそが『優しい乱暴』の発祥なのだという。
聴いてみると一目瞭然だ(目じゃなく耳だ!)。歌詞にある場面、言葉はさきほど劇で観たそのものだ。そうして矢野絢子の歌声とピアノを聴きながら、僕たちはふたたび劇の場面を思い出す。感動がじわじわとあふれてくる。
この劇はこの曲を聴くことで完成するものだ。バラバラだったパーツ、不可解に残りつづけたものたちも音色の中に溶けていく。
ミニライブが終わり、僕は余韻に浸りながら家に帰った。『八十五歳の女の子』をネットで買って聴いてみた。また劇の場面が浮かんでくる。歌詞の内容が染みこんできて、僕は笑った。「やや難解な戯曲」がこんなにもわかりやすく思えるなんて。
ここは地球ではないどこか別の星。これらのパーツの使い方が完璧にわかった。
公演場所:コンカリーニョ
公演期間:2021年2月4日~2月10日
初出:札幌演劇シーズン2021冬「ゲキカン!」
text by 島崎町