その演技の効果、想定内ですか? 北星学園大学演劇サークル 『いつか笑い話に』

脚本・演出:遠藤壮

喧嘩の際、彼女に突き飛ばされ打ちどころが悪くて死んでしまった彼。その死を笑い話にしようとする人たちの物語。

教授と学生が確証バイアスについて話をしている。自分に都合のいいように情報を集めて物事を解釈してしまうやつ。説明するなかで彼の死を笑い話にしようとした事例を取り上げる。

学生時代から交際を始め社会人になった二人。彼女から病気で余命いくばくもないことを知らされた彼は「いつか笑い話になったら良いな」と言う。彼女が奇跡的に助かって・・・ということではなく死んだ後に笑い話になったらと言う。

やべー彼だと思ったが彼女の告白もどこかおかしい。それなりに悲しそうではあるが、声を詰まらせるでも涙を流すでも無い。失礼ながら、正直演技も微妙な二人でやべーやつ同士の会話にしか見えない・・・。

それはさておき、自分の死を笑い話にと言われて怒らない人はいないだろう。当然喧嘩になり突き飛ばされた彼は頭を打ち死んでしまう。気が動転し、友人を呼んで助けを求める彼女。そこに彼の妹。彼は結婚を考えていて未来のお姉さんに会えることを楽しみにしていた。が、突然の兄の死。死体を観て普通なら錯乱するところだが「兄の死を笑い話にしたい」と言う妹。

聞けば兄妹の母親は夜遊びに忙しく二人を育てたのは父親だという。その優しく真面目な父が病気だったか過労だったかで亡くなった。夜遊びしていた母ではなく、真面目な父が亡くなった不条理を兄妹は笑い話にするしかなかったのだ。それで二人の中で何かが壊れてしまったのかとボクは思った。壊れてしまった人間と考えればあの微妙な演技も「演出」に思えてくる。類は友を呼ぶではないが、彼女と友人もどこか壊れた人たちではないか?とボク自身も確証バイアス?に陥っていく。

「兄も笑い話にすることを望んでいるはず」と妹は言う。そんな馬鹿なと思ったが、あの壊れた感じから「無くは無いな」と思えてしまう。結婚を考えてた彼女に殺されるなんて最高に笑える!と思ってそう。それに彼を殺してしまった彼女は「地獄」に行くことを恐れていた。よくよく考えると「地獄」と口にしたのは天国地獄を信じてる人たちであることを示しているのかもしれない。そうであるなら死んだ彼が、あの世でそれを望む可能性をより考えることができる。確証バイアスは進む。そして彼の死を笑い話にしようとする三人の姿が笑い話になるとの結論に達し、彼女は笑顔で警察に電話するのだった。

話を聞いた学生は笑えない。当然である。「ごめん。また笑い話にできなかった・・・。」と一人になった教授はつぶやき物語は幕をおろした。タネ明かしをすると教授は彼女の兄だったのだ。罪の意識から逃れるためか、彼の望みをかなえる形で確証バイアスに陥った妹の笑い話。笑い話と同意してくれる「事例」を集めたかったのだ。けれど出来ない。出来るはずがない。出来ないことは分かっているがやめることができない。「また笑い話にできなかった」の「また」が何度挑戦したのだろうと想像させる。やべーやつからの悲劇的な結末は見事でした。

 

今作は北海道学生演劇祭2024参加作品であるが受賞には至らなかった。完成度は高いとは言えず、その評価に異論はない(他は劇団しろちゃんしか観てないけれど)。けれど磨けば光る作品に思えて、何だか勿体なくて、感想を書いてみました。演技が微妙とか書いてしまいましたが、いつか笑い話になりますように・・・。

 

2024年10月27日(日)15:00

演劇専用小劇場BLOCHにて観劇

text by S・T

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