いっけんすると「死」をテーマにした作品のように思うだろう。でもそれだけじゃない。
パスプア『きをみずもりをみる』は3つの物語と1つのダンスからなるオムニバス作品だ。たしかにいずれも「死」にまつわる話だけど、一貫しているのは重さを取り除いているところだ。
死から重さをなくしたときなにが見えてくるのか、そういうお芝居なんじゃないか。
意欲的な物語、思考実験っぽさは広義のSFのようだし、小気味よくサクサク進むストーリーやヒヤッとするブラックさは星新一や藤子・F・不二雄のSF短編のような味わいがある。
「死」がテーマの重く難しい内容だと思ってしまうと足が遠のくかもしれないけど、「いま」を比喩的に描いた「すこしふしぎ」な短編集だと思うとどうだろう、ちょっと興味がわくんじゃないだろうか。
「死」の重さをなくして、見えてくるものはなんだろう。それこそがこのお芝居のタイトル「きをみずもりをみる」なのかもしれない。「き」には「死」を、「もり」には観た人が好きな言葉をあてるといい。
僕たちは「死をみず」に、べつのなにをみるのか。
4つあるうちの最初の演目「幽と現のあいだ」は、ある日突然死んでしまった女性・藤本幽(吉田茜)の物語だ。医学的には死んでる状態だけど、体は動くし会話もできる。「死」以前となんら変わりはない。そんな奇妙な死に目をつけた政府機関が彼女を利用しようとする。
彼女は生前、ブラック企業で搾取されていたが、死んだあとも政府機関に搾取されようとする。でもなにを搾取されるのだろう。ブラック企業には「命」を搾取されていたように見える。ところが死んだあとも奪われつづける。なにを? たとえばそれが「もり」の部分なのかもしれない。
2つ目「私の境界」はダンス作品。ミニマルなエレクトロニカ風の音楽のなかで4人が触れ合い、影響を与えながら動く。
僕はダンスの見方をまったく知らないんだなあとぼんやりながめていたらしだいに規則性や流れに気がついてもしかして? と思ったらやっぱり物語があったらしい。会場で販売されているシナリオには書かれているそうだ。僕は、体がほぐれて血行がよくなるさまなんだろうと思ったけどたぶん違うだろう。個人的に心地よかった演目。
3つ目の「最期のプレゼンテーション」は、どこぞの資産家(温水元/満点飯店)が自分の死に方の演出を3人の部下(最上怜香/yhs、山田プーチン、ともか/パスプア)にプレゼンさせる。部下のテンションや資産家の娘(曽我夕子/yhs)の態度もいたってふつうで、死に重さはない。途中までは。
「死」という名前の別のもの、僕たちが知っているものとは違うなにかをプレゼントしているような錯覚に陥る奇妙な話。
4つ目の「ハッピーエンドセンター」は安楽死が合法化された社会。藤子・F・不二雄の短編をもじるなら「気楽に死のうよ」になるんだろうけど、コップ1杯の死を提供する安楽死会社の社員・高城ゆりえ(田中杏奈/パスプア)の日常を描く。
コスパで生きることが当然の彼女にとって「死」もまたコスパの対象なのかもしれない。軽くなった「死」の代わりに浮かびあがってくる「もり」はなんだろう。
現実にあるなにかをあえてなくす(変える)ことで、かえって現実の姿が見えてくるという試みは僕は好きだ。
パスプア役者陣の演技と作・演出の小佐部明広はシンプルで清潔感のある舞台をつくっている。ダンス作品の心地よさや、地の文や心の声の多用などから生み出されるリズム感もよかった。
役者のセリフと動きが、空気の流れをつくり観客に届く。はじめは小さな波だけど、規則性や流れによってリズムが生まれる。そのリズムにストーリーが乗って「もり」が見えてくる。通常の物語では「死」によって隠されているものが。
『きをみずもりをみる』
観終えたあとあなたは「もり」になんの言葉をあてはめますか?
公演場所:シアターZOO
公演期間:2024年8月3日
初出:札幌演劇シーズン2024「ゲキカン!」
text by 島崎町