北海道勢は早々に消えたが、ほぼ毎日、高校野球の中継を見ている。その間、何度も耳にするのが、「緩急をつけたピッチング」という言葉。投手は鋭いストレートだけでなく、落ちるフォークボールや変化球などを交えて打者を翻弄する。それが「緩急をつけた-」になるのだけど、演劇も似ていると思う。コミカルと思いきやスリリングさを表出させる、優しさの中に垣間見える狂気-など、緩急をつけた演出や演技に出合うと、いい意味で振り回される。それが「面白い」につながることが多い。
演劇シーズンのレパートリー作品に選ばれた「あっちこっち佐藤さん」は、高校野球に例えたら全打者にストレートで勝負をしているような、そんな印象を受けた。「あのリズム(で投げられるの)が好き」という人は気持ち良く笑えるのだろう。でも、私はそうではなかった。
2014年の再演でいえば、キャストの組み合わせもいろいろあった中、上總真奈の勝ち気な妻と、着物姿でどこかとぼけているような演技を見せた小林泉(現:泉水)の対比が見た目にも分かりやすく、キャラクター(演技)の対比としても物語に緩急をつけていたと思う。
さて、今回、気になった点。
・夫が窮地に追い込まれるにつれ、全員のせりふが早口になり、何を言っているのかわからない場面が多かった
・そのため、オーバーリアクションについて行けず、白けてしまう
・新聞記者は3人必要?
・南33条の方の警察官、声がつぶれかけていたのが気になった(役者が声をつぶしちゃいけない)
とはいえ、平日の昼公演でかでるホールの8割ほどが埋まっていたのは、イレブンナインの手腕だろう。テレビやラジオなどメディアに積極的に出て、演劇を知らない人にも自らの存在を印象付ける活動を続けるのは、札幌でもイレブンナインのメンバーくらいではないか。
話は変わる。
初演ではなく再演以降の作品を上演するのが「演劇シーズン」。だが、思い返しても初演または再演の出来を越えた作品は、私にはまだない。
例えば、演出家が書いた本でも既成脚本を脚色したものでも、舞台化すれば何かしら矛盾点や弱いせりふや演出が出てくる。一観客としてある作品を観て「次に上演する時に直したらいいのにな-」と思う部分があるとする。その作品が演劇シーズンで取り上げられ、そのタイミングで観ると、「直したらいいのにな-」が改善されるどころか、悪化していることが多い。そうなってしまう理由はいくつか思い付くが…。
また、演劇は、上演される時代性を映すものとも言われる。演劇シーズンとして数年前の作品を今上演する意味を考えている人は、どれだけいるのだろうか。
text by マサコさん