サイモン&ガーファンクルの名曲『サウンド・オブ・サイレンス』はラジオとレコードで知っている。それがこのお芝居では「沈黙」が複数形になっている。沈黙って、区切ることが可能な個別に存在する現象だろうか? そもそも複数の人間のあいだに分かちがたく漂って在るのが沈黙ってヤツなのでは?
とまぁ、そんなことをつらつら考えながら劇場へ向かった。
姉つばめと妹つぐみ。妹の恋人、渉と職場の先輩、集。舞台上に登場する人物は4人。みな、「名は体を現す」かのような印象的な名前だ。つばめ役の塩谷舞さんと、渉役の深浦佑太氏の感情を抑えた静かな語り。時々ハイテンションに暴走しかける(が、あくまで未遂の印象…の)集役の温水元氏。一人だけ相手を断定することに躊躇せず、感情を炸裂させるつぐみ役の成田愛花さん。この4人の舞台上の声量バランスが絶妙だったと思う。感情の起伏をあざとく「盛る」ことのないお芝居に久々に出会えた気がしてホッとした。笑って元気になったり、泣いてカタルシスを得ることももちろんある。けれど、ふつうの熱量でふつうに話しかけられることを、そしてそれにふつうに応えることを、いまの自分は欲していたのかなと感じた次第。大きな声だけが「聞える」わけじゃないからね、日常では。
とはいえー
このお芝居で「聴こえた」気がした言葉にならない言葉は…怖かった。4人のうち、抱えてきた屈託を一番打ち明けたい相手に伝えられたのは、唯一つばめだけだったと思う。(あれってまさにつばめ返し?)
が、だからこそと言うべきか、弦巻流静かな演劇のラストに提示される未来は、私にはもの哀しかった。やるせなかった。その選択でいいの?つばめさん、と、思わず話しかけたくなるほどにー。
人の数だけ生き方があって、「正しい」も「間違っている」も「グレーゾーン」も人の数だけあるのだとしたら、「受け入れる」という行為にしか、未来はないのだろうか? でも黙って「受け入れること」=「穏やかな関係」とはならないのが、愚かな人間の哀しい性ってヤツなんじゃないかとー。
つばめが看ていた母との会話の回想にも感じたことだ。胸をえぐられる気がした。(あの痛さに比べたら、たとえば恋愛の傷なんかかすり傷にもならない。のではないかともー)
舞台装置について。ときおり耳がとらえた水音。川の音ー。そして、あの音に照射される光の揺らぎに喚起される感情が、ツアーの舞台では、きっともっと拡がりのあるものになるだろうと想像している。あぁ、ツアー観に行きたいなぁ。
最後に。札幌プレ公演をプロデュースしてくれた信山くん。映画『海炭市叙景』で小林薫の息子役を演じていた高校生が、こんなふうに育ったなんてそれもまたおばさんは嬉しく。ありがとう。
弦巻楽団の健闘を祈る。また客席で唸らせてください。
2017年9月6日 20時〜 シアターZOOにて観劇
投稿者:本間 恵
text by ゲスト投稿