思い出すと楽しいが 札幌ハムプロジェクト『象に釘』

立ち上がりから一部の観客の笑い声が響く。
コミカルな仕草が笑いのツボにはいったのか。それとも、複数回観劇してるから?
冒頭から取り残された気分になった。
芝居の内容的におそらく、まず初見の者は取り残される事、は、正しいと思う。

箱庭でループを繰り返す。男と女。サイコロの目がそろった時にのみ次に進める。それがノートと釘とハンマーの役目だ。
サイコロがそろわずに、また振り出しに戻る。そして、最後にはサイコロを捨て新しい遊びを始めるが、それもまたやがてマンネリの果てに、釘とハンマーを拾う。繰り返す。
ただ、取り残されたのは、客席から起こる笑いに、だ。

色々と思い出すと楽しい。
例えば、あのステージは屋根裏である必要がない。ノートを綴るのは繰り返しの中での時間の蓄積で、いわば時計の代わりだから部屋に時計が必要ない。一人でいる時は全てが曖昧だが、他者を通した時にのみ真実であるかどうかがわかる可能性が増える(絶対に正しいのは始まりと終わりがあるだけ)等、考え、感じる部分はたくさんあった。
が、それはステージを見ている間ではない。

そもそも序盤はただの会話であって、きっと伏線を置いているんだろうなという印象しかなかった。にも関わらず、起きた笑い。役者さんが笑いをとりにいった結果の笑いだったのか。あるいは、何度目かの観劇で言葉の意味を知っているから?

僕が観た上で受け取った、自由意志の決定、がテーマなんだとしたら、申し訳ないけれど僕にその笑いの意味はわからない。
最後まで実在のない概念のみで構成されたストーリーで、演劇にしかできない表現なんだろうなと思ったけれど。
 
 
11/24 14時 シアターZOO

投稿者:橋本(30代)

text by 招待企画ゲスト

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