私がいてあなたがいて、それから 札幌ハムプロジェクト『象に釘』

この劇は屋根裏部屋で行われる白い衣装をまとった男女による2人芝居。

役者には役名すら与えられず、アンタ、君、先輩、といった言葉で互いを呼び合っている。最初は女が、なにやら紙を束ねたものを淡々と読み上げるシーンから始まる。その紙には象についての知識、とりわけ動物兵器として使われた戦う象、戦象について書かれているようである。
象について読み上げた女に対し、首から大きな釘のネックレス?をかけ、自らを象だと名乗る男がなんらかの決断を迫る。いつまでも決断できない女に対し、男はなかば屁理屈的に言葉で畳み掛ける。

徐々に声に熱を帯びて体を大きく使ってオーバーリアクション気味に振る舞っていく様子には、デジャブ的な印象を感じた。ちょうど1年前、同じくシアターZ00で観劇したイヨネスコの「授業」の役者の演技がフラッシュバックした。まるであの構図を再現したかのような興奮して椅子から立ち上がり、肩で息をしながら屁理屈でまくしたてる男と、椅子に座ってわからないわからないと混乱した様子の女。いずれも結果的にエスカレートしすぎて女を殺害してしまうところまでも同じ。もし、観客の中であの劇を見た方がいたならば、同様の印象を持っただろうか聞いてみたい。

話がいきなりそれてしまったが、舞台が始まって早々に流れで女を釘で打ち付け殺してしまう。嘆く男の口からとある「ルール」が読み上げられる。「象が人を殺してしまった場合、立場が逆転し、最初からやり直す。」というものだ。

暗転後、今度は女が部屋で待ち受けているところに、恐る恐るといった様子で先ほどまで象だった男が入ってくる。二人はお互いに初対面であり、女は象と名乗る。(実は、象役は人を殺さないかぎり象のまま、屋根裏部屋の世界が繰り返される際も記憶は引き継がれるらしい)対して、男のほうは記憶がはっきりしていなく、ランプやテーブルといったものは認識できるのに、自分のことは全く覚えていない状態のようだという。この劇はどうやらそうやって無限のようなループ構造でもがく男女の様子を描くもののようだ。

屋根裏部屋に見える舞台装置は、彼らが屋根裏部屋と思ったから屋根裏部屋であるようなこと言っていたり、登場人物である男と女が観測、認識したことを土台にして世界が構成されているようである。「ルール」が記されているある種、狂言回しのような存在であった束ねた紙も、途中で彼らが書き足したりしていたことから彼らが長い間ループを繰り返して加筆を繰り返していった蓄積でしかなかった。それぞれ象と人であるという自己認識の仕方、立場が逆転するしないに関わらず記憶を引き継ぐ条件、観客としては何一つ信頼できる要素や設定のヒントももらえず、やきもきすることも多かった。伏線のようなものは色々散らばっているが、回収されないまま何事もなく進んでいたり、一石を投じるための石が何にもあたっていないようであったり、期待や想像を裏切るまさに不条理演劇的だ。

ただ、いずれのループ世界でも共通していたのは、男女が執拗に「次の段階」に進もうとしていたことである。それはその部屋から出ていったり、人である存在から象を釘でもって殺害することで叶うらしい。ただ、先のルールでいったとおり、象が人を殺すと立場が入れ替わって最初からとなり、象は己に釘を打って自害しようとしても死ねないようである。記憶がないゆえの焦りからきているのかもしれないが、不安やストレスから解放されたいという無意識的願望があるようだ。劇の終盤では、男女が書きためた書物や、なんらかのメタファー的存在である釘でさえも捨て去り、改めてお互いの存在についてを確認し合い、ゼロから新しい方向性を展開する。(それでも最後の最後に釘は突如として現れるので、また世界はループしてしまうのだろう。)

閉塞感に陥った際にこの男女はどう考え、どのようにその事態を打破していくのか。物事の捉え方によって、世界はどんどん変わっていくこと。もしかしたら現代社会に生きる我々にも同じようなことが起こるかもしれない。そういったときに観客であるあなたはどうしますか?といったことを不条理劇的な要素でもって表現しているともいえる。そこから逆算的な考えに立つと、役割が入れ替わったり、ループを繰り返す中で彼らの記憶が混同することも、見ていた観客にも同様の世界に対しての不安感を抱かせるため装置だったのではないだろうかとも思える。飛躍した解釈かもしれないが。

劇全体としては、設定・ストーリーは非常に面白いものであったが、回収されない伏線のような件を広げたり、台詞が説明的で省略しているような印象をもったシーンもあり、そのアンバランスさがちらほらと見受けられた。不条理劇要素もあるのだろうが、もっと効果的にループ世界の構造などを表現できたのではないかと感じた。

また、ストーリーとは別に気になったところはコミカルシーンについて。俳優の演技による観客の笑いどころは演出側が意図したところも感じるが、そうでないところ、俳優の過剰、リップサービスな演技によって起こる笑いもあるが、その線引きは曖昧でわかりにくかった。劇中における観客に与えられる情報の不確かさとも相まって、始終すっきりとしない曖昧さを残したままストーリーが進行してしまったような印象。

自身は観劇していないが、この劇は同時上演の『Dr.サタン、まちがってサンタをつくる』と同じ舞台セットを用いているらしい。双方向におけるストーリーや舞台装置のリンクがあるとしたら、『象の釘』をより楽しむことができたのかもしれない。
 
 
キャスト:大橋千絵、横尾寛
2017年11月26日16:00 シアターZOOにて観劇

投稿者:おすぎ(20代)

text by 招待企画ゲスト

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