まず、難しかったんだろうなというところを承知で小言を言わせてもらいたいと思います。
ひとつめは、ビット小判について。義賊がリアル小判をばら撒いていくうちに、もっとたくさんの人を救いたくなった。その打開策として弁天小僧は政府側についてビット小判を作った。という設定。いや造幣局に寝返ったのなら、リアル小判をどんどん流出すればいいじゃない。逆に、コンピューターに詳しい利平が政府の介在しない通貨を作り出し活用して他国との連携を図り、国家転覆を画策するほうがよっぽど進化した義賊の形だと思う。
そもそも国家がリアル小判とビット小判を共存管理させる理由がない。だって、リアル小判のほうが他国に対して通貨としての信用があるわけで、実際に存在しないビット小判を使うメリットなんてないんだもの。現実の現代の今の状況から一目瞭然。実際最後はビット小判がインフレを起こしました。もしかして、北上も義賊と繋がりがあった?
ふたつめは、それに伴うことですが、利平、家族を守りたいならスキルあるんだからもっとちゃんと起業したりしてるはずでしょ。なんで作業着なの。休みがないだの、賃金があがらないだの。何で独立していないの? 少なくとも手に職がある人が独立しないという選択肢を選ぶことは少ないと思う。まして義賊なんだし、社会貢献の意識があるはずならなおさらスキルを活用するでしょう。それで力強く家族を守る!と言われても説得力ないなと思ってしまいました。
上記のことは例え仮想世界だとしても矛盾することだから気になったんです。でも、そういう事を考えること自体が野暮っていうんでしょうよ! 粋な芝居だったなと思いました。世界観も退廃的な江戸というか、鄙びた感じが全体的にしていて、それが後半の番傘の鮮やかさを引き立たせる役割なんだろうなと思いました。
菊之助が千寿を手にかけてしまう気持ちとか、力丸が利平に助けを求め、なりふりかまっちゃいられねえ、あたりは本当にカッコいいなあとうっとり見ていました。
エゴとエゴのぶつかりあいで、砕けて、混ざって、先に進んでいたから人情もあったんでしょう。忖度、忖度。緩衝材なしに歩いていくのは危険だっていう現代、現実においての対比として、主張の力強さみたいなものを感じました。
役者さん達の個性もたくさん出ていて面白かったです。特に能登さんとエレキさんの芝居の圧が好きでした。あとは氏次さんの面白さ。アルトさんのとび蹴り、櫻井さんの見得、などとにかくわっちゃわちゃな感じが面白かったです。
裏とか推測とかなしに、アクションをおおーという感嘆の声とともに観るのが概ね正しいのかなと思いました。
12/1 19時30分 コンカリーニョ
投稿者:橋本(30代)
text by 招待企画ゲスト