パトスで劇団words of hearts『アドルフの主治医』を観たとき、昨年、同じ場所で、斜め前の席に座ってらしたのをお見かけしたのが最後だったのだ、と思い出していた。
2014年・2015年・2016年のTGR札幌劇場祭で、私は浅野目輝頼さんと一緒に審査員を務めた。浅野目さんは札幌えんかんの運営に長く携わった方で、定年されてからはご自宅のある岩見沢市で、実行委員会形式での演劇公演を行う活動をされていた。
1年目、審査員はそれぞれが黙々と28作品を観劇しており、事前審査会まで会話する機会はなかった。
2年目、私は他の審査員の方をお見かけしたら、劇場を出たところで積極的に話しかける作戦をとった。1カ月間の観劇では、まるで理解できずに迷子のような気持ちになる作品にも出会う。そんなときに「いや私もわからなかった」と聞けば慰めになるし、「このようなものを目指している作品だと感じた」と言われれば自分の見えなかったものについて考えることができた。
浅野目さんは過去に観た著名な作品の例を引いて解説してくれたものだった。劇場から駅までの短い時間で、私は浅野目さんが岩見沢から観劇に通っていること、現役時代は東京でたくさんの観劇をされたこと、引退してからも年に1度は1週間ほど東京に滞在しての観劇ツアーをされていることを知った。
3年目の事前顔合わせで、私は他の審査員の方に「観劇後に時間があるときは少しお話をしませんか」と呼びかけた。当時は全作品への意見を集約しつつ大賞候補5作品と審査員賞を事前審査会で選んでいたのだが、検討するべき作品は約20作品、審査員は7名、用意された時間は3時間。前年に思いもよらぬ意見が飛び出して時間が危ぶまれる事態になったこともあり、途中で互いの意見をある程度知っておいたほうが準備が整うのではないかと思ったからだ。
1カ月のTGR観劇中、メンバーは少しずつ違ったが数度、観劇後にお茶をする機会があった。最初にお会いしたとき、浅野目さんは「風邪を引いちゃって」とマスクをしていた。青春の日に観た『裸足で散歩』を弦巻楽団が上演することを楽しみにしていた。二度目にお会いしたときには序盤での期待を背負っていた作品の不発をこぼし、仕上がりが気になって再度足を運んだ『裸足で散歩』の千穐楽の印象を語っていた。風邪は相変わらずのようだった。劇団アトリエ『蓑虫の動機』が話題になったときにも、確かその場にいらしたように思う。最後にお見かけしたのはパトスでのin the box『そう』の上演でだった。「顔色がよくないな、お疲れで回復が遅れているのだな」と思ったことを覚えている。
事前審査会の2日前に、浅野目さんが検査入院のため審査会を欠席することを知らされた。3年間同じ作品を観てきて、語り合うべき人が最後にいないことを残念に思った。公開審査会には丁寧なメッセージが寄せられていたことを記憶している。
後に、肺に病巣が見つかったのだと耳にした。回復されたらまた劇場でお会いするだろうと思っていたのだが、6月、訃報を受け取った。
先日、レッドキングクラブ『ガタタン』の感想を書きながら、私はまた浅野目さんを思い出していた。
レッドキングクラブは2014年にTGR新人賞を受賞、翌年には大賞候補の上位3作品に入り企画賞を受賞、トントン拍子の結果を出した。2016年のエントリー作品『カラッポ』を観た後に、私は作演の竹原くんに脚本を読ませてほしいとお願いしたのだが、後日、浅野目さんも同様の依頼をしていたことを知った。
浅野目さんとはついに『カラッポ』についての話はせずじまいになったが、作品を観て、たぶん同じように2014年と2015年の審査に関わったことへの責任のようなものを感じたのだと思う。審査員は内々で、「若手の作品は批判すること以上に褒めることに責任が伴う」という話をしたりもしていた。褒めたこと・褒めなかったことがどのように影響していくのか。審査員は演劇を作ることに関しては素人ながら、みな審査するということとその責任を、真剣に考えていたのだ。
浅野目さんなら、今年のTGRをどう観ただろうか。劇団coyote『路上ヨリ愛ヲ込メテ』の出来を喜んだだろう。劇団words of hearts『アドルフの主治医』では、時代の圧迫による人間性の変化を見出したかもしれない。イレブンナイン ミャゴラ『やんなるくらい自己嫌悪』はストライクゾーンだったはずだ。札幌オーギリングの大賞エントリーも歓迎しただろう。二年分とちょっとで約60作品の感想を語り合ったことから、そんなふうに想像している。
浅野目輝頼さんのプロフィールとTGR札幌劇場祭2016の講評はこちら
2017.12.12 7:00一部改稿
text by 瞑想子