蝦夷地北方での津軽藩士大量殉難という葬られた事件、という史実の重みが全編にのしかかる。それを津軽弁の人懐こい響きの軽妙さで、楽しませる。
タイトルの「珈琲法要」という行事が大変面白そうだ。コーヒーのカフェインやポリフェノールが体に効き目があったのかしらん。薬として珍重された。その名残りで、亡くなった藩士たちを珈琲で供養するらしい。せっかくだから、現代の法要の場面から始まって、時代を遡って当時の場面に移ってもらえれば、タイトルの意味がより深くなるのでは。せっかくの面白いタイトルなので、ちょっと勿体無い気がした。
寒さと病に耐える津軽藩士が描かれているが、「辛いけど頑張ってます」というメッセージは有るものの、彼らは何を考え、何を思っていたのか。もちろん、境遇だけでも哀れで涙を誘う。そこに人間としての感情、望郷、家族や初恋や将来への思いなど、現代の私たちと変わらぬ青年たちだったのだと思わせるエピソードがもう少しほしかった。史実の状況再現だけではなく、そこにいつの世も変わらぬ人の思いを見て共感したい。せば、大泣きできたでしょう。
唯一大きなドラマ展開は、給仕のアイヌ人女性が、病の藩士を殺そうとする場面だ。アイヌの神について語り、仲良くムックリに興じていた彼女が、「倭人は嫌いだ。家族を殺された」という恨み言の伏線はあるものの、突如病人に馬乗りになって首を絞めるという暴挙。私のアイヌのイメージとはすごい違和感だった。私が目撃証言するなら、打ち解けていたようだったのに豹変したんです、と言うだろう。このアイヌ女性による殺人未遂はどうも後味が悪い。逆に、倭人とは打ち解けずにいやいや給仕していた彼女が、藩士たちの悲惨な状況への哀れみや少し芽生えた友情から、彼らも同じ被害者同士なのだと感じ、倭人への恨みを置き去って懸命に看病してやる、なんていう方が、私の好みである。アイヌの人々にそうあってほしいという私の願望だ。藩士も、「もう俺はダメだ。お前の倭人への恨みを俺で晴らせばいい、殺せ、」くらい言ったらどうじゃろ。
「お上に翻弄される無力な人々」の中に、どんな魂の叫びがあったか。想像力を掻き立てられる作品だ。
2018年1月29日 19:00 シアターZOOにて観劇
text by やすみん