入れ子構造の妙 ー 劇団words of hearts『妥協点P』

 

 

脚本は劇団ままごとの柴幸男さん。聞くと劇団words of heartsさんはオリジナル作品ばかりをやってきたそうで、今回初の既存戯曲への挑戦とのこと。そこまで惚れ込んだ作品とはどんなだろうというちょっとした期待を込めて見に行きました。

演劇作品を色々見ていると、時々入れ子構造の作品を目にする。入れ子という言葉が適切じゃなければメタ構造を取り入れた作品といえばよいだろうか。僕は演劇を見ているのだけど、その作品の登場人物達が劇が行っている。役者視点で言えば、Aという人物を演じながらAが演技でBという人物を演じてる状態。

書いててわけわかんなくなってきましたが。

目の前で人間が表現をしている演劇で、このメタ的な表現はとても効果的だ。その構造が繰り返し行われるこの作品は、いくら開けても箱が出てくるみないな状況で話が進んでいく。「学校祭で行う予定の演劇部の脚本がよろしくない内容だと言って書き直しを先生がお願い」するのだが、手直しされた台本では「学校祭で行う予定の演劇部の脚本がよろしくない内容だと言って書き直しを先生がお願い」される様が描かれていて先生はさらに困る。もう一度書き直しをお願いすると、さらに「さらに困る」様が追加されていく。

そのうち、その先生と台本を書いている生徒が恋愛関係だということが発覚し…というあたりでもう、これが真実なのか台本の中の世界なのかわからなくなっていく。目の前で人が演じているからこそ、そこに差異がなく、だからこそ虚構がどこまでなのかが曖昧になり、物語がどんどん面白くなっていく。

 

ひたすら困り続けるも頑なに譲らない先生(仲野圭亮さん)。ある意味融通の効かない頑固者に見えなくもないが、そこにはそれなりの思いがあるように見える。オマエがすべての原因だよ、とは思いつつも後半まで見ていると彼を簡単に否定することはできない。

終始無言で台本を提出しつづける生徒(袖山このみさん)は何を考えてるか全くわからない。その提出された台本から彼女の意図を汲み取りつつも、なんとか学校祭を成立させようと奔走する先生(飛世早哉香さん)が一番とばっちりだ。どっちかが折れてくれれば成立するのにどっちも折れないから間を走り回るしかない。

図書館の先生、科学の先生(だったかな?)など他の先生も巻き込まれつつそれぞれの立場から問題に立ち向かっていく(とはいえその立ち向かう様も台本の話なのかもしれない)。

1つの作品を通して先生方の主義主張はそれぞれだ。何らかの解決を見出すために違うアプローチ方法を考えたり提案・相談をして、なんとか問題のないところに落とし込めないかと思索を重ねる。生徒の台本にどんどん翻弄されていく大人たちの様子がなんとも滑稽で面白い。そうそうコメディなのだこれは。

しかし、そんな作品が札幌で上演された時、ちょうどあいちトリエンナーレ2019で表現の自由や検閲についての論争が高まってる最中だった。先生達それぞれの主義主張はちょうど社会の縮図のようだった。

「じゃあ誰が正解なのか」と考える時点で駄目な気がする。だって全部正解で全部不正解なのだから。自分がこの物語の渦中に飛び込んだら、なんらかの立場を取らなければならないだろう。その時自分はどの立場を取るだろう。そんなことを考えながら帰路につきました。

※何らかの関係がある公演については基本書かないことにしてますが、この公演については宣伝アドバイスを行ったのみですので書かせていただきました。

text by kazita

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