「トランク機械シアター」の検索結果

TGR2023回顧録(2)――トランク機械シアター『ねじまきロボットα〜バクバク山のオバケ〜』

アーカイブ第2夜はアルファー君。(今回は2番目の観劇でしたが)例年、僕のTGR初日を飾ってくれるトランク機械シアターさんの看板シリーズです。
(感想はあくまで個人的なものであり、文責はすべて僕個人にあります。TGR札幌劇場祭主催の札幌劇場連絡会や他の審査員さんとは一切無関係です)

     *          *

誕生からすでに10年以上が経過し、人気者として定着したアルファー君。何度見ても絶妙なその造形と相まって、すっかり血の通った(いやロボットだから血は通ってないか笑)キャラクターとして存在しています。彼が舞台に現れただけで、個人的にはメジャー作品のように感じています。
伝統芸能「文楽」などでよく見られる、人形使いの姿が客席から見える操演方法。ケコミにこだわらないことでやまびこ座の広い舞台をのびのびと使えるだけでなく、公演を重ねるごとに役者(人)と人形とのコラボ劇としても進化。また、それによって操演が見える違和感も薄れ、逆に人形自体が生き生きとした単体の出演者として見えるという効果ももたらしていると感じています。コロナ禍が(一応)明けた今回、再演に選んだのが一連のシリーズの中でもかなり社会性の強いテーマをもつ本作であるという所にカンパニーの意思を感じ、期待を持って席につきました。

OPダンスからの三島さんのギター(多才さに感心)。三島さんがそのまま物語に繋げる導入部など、観客(子どもたち)をより巻き込むしかけが、初演時よりさらに工夫されていると感じました。時に子ども達の声を拾いながら進めたり、じっとしていられなくなった子どもをフォローするスタッフワークなど手慣れた進行にも安心感あり。
毎回楽しく観ることばかりが先行するのですが、さとうさん(「バクバク」操演)がよく動くのが印象的だったり、「つぎはぎ」は操りにくい構造の人形だと思うのですが後藤さんが色々な表情をつけてくれたりなど、メンバーのスキルも回を重ねることにますます磨かれているのだとも感じました。喜怒哀楽すべてが見える「バクバク」の造形(表情)も素晴らしい。

初演ももちろん拝見しており、このお話はかなり好きなのですが、それでもこの難しいテーマをあえて再演するなら、幅広い観客層に「どう見せるか」についてはまだまだ発展の余地があるとは思います。テーマが難しいのも、立川さんが子どもたちに「今すべてを理解できなくてもよい」とお考えなのももちろん承知の上であえて書かせていただくと、やはり後半の展開に「小さなお友だち」は少し置いてけぼりにされてしまっていたような気はします。悲しい出来事もあるので最後に救いを見せたいのはわかるのですが、エンディングは大人向けの感が否めませんでした。
(残念ながら僕は子どもではないので、「置いてけぼりになっているのでは」というのは勝手な思い込みなのかも知れないですが)

「ゴミ」とひとまとめに表現しつつ産廃や核廃棄物のことだとわかるイラストにしていたように、大人向けに示唆を示しながらも物語自体はあくまで子どもが楽しめる形に終始するような作り方は、外野が簡単に言えるようなおいそれとできるものではないとは思いますが、それでも立川さんとこのカンパニーなら、この物語をさらに進化させてくれるのではないかと期待してしまいます。

<主観的絶対評価>
人気度★★★★★……またまたオーディエンス賞を受賞。さすがとしか言えません
キャスト実力度★★★★★……人形を使うだけではなく、人間だけの場面など、一人何役もの役回りも含めて、舞台の立体感は公演を重ねてきたカンパニーの強み
テーマの訴求度★★★★☆……今作はさらに進化した再演をまたいつか

2023/11/5(日) 14:00 やまびこ座にて観劇
――
トランク機械シアター 人形劇 『ねじまきロボットα〜バクバク山のオバケ〜』
2023/11/2(木)〜5(日)
【キャスト】
縣梨恵・石鉢もも子(ウェイビジョン)・後藤カツキ・さとうともこ
寺元彩乃(capsule)・原田充子・三島祐樹

【スタッフ】
作・演出 立川佳吾
音楽 三島祐樹@ラバ
音響 橋本一生
照明 秋野良太(合同会社 MELON AND SODA)
イラスト:チュウゲン

現実を少しだけ変えるために トランク機械シアター『ねじまきロボットα ~ともだちのこえ~』

これは、あなたこそ観るべき作品だ。

「子ども向けの人形劇か。自分には関係ないな」そう思ったあなたのことだ。

トランク機械シアター『ねじまきロボットα ~ともだちのこえ~』。いま札幌で観られる最良のファンタジー、大人のための寓話劇、観る前と観たあとでは少しだけ、人生が変わる。

もちろん劇場には子どももいる。最前列に座って前のめりになって舞台を観てるだろう。だから大人は、子どもたち込みで舞台を観ることになる。

ワクワク心躍らせる子どもたちを見て、自分も昔はこうだったなあと過ぎ去りし遠い過去を思い出すのもいいだろう。だけど……

物語が進むにつれて、しだいに大人たちは気づいていく。いま観ているのは寓話、描かれているのは現代の縮図、社会が抱える問題がデフォルメされてる世界なんだと。

自分たちとは違う、そんな理由で迫害しようとするものがいる。権力者だ。そいつは金をあやつり仲間を増やし、他者を排除していく。おぞましい世界だ。

町の名は、「サツホロ」。ゾッとする。

客席の前方には食い入るように舞台を見つめる子どもたちがいる。この子たちはこれから他者への憎しみにあふれた、排他的な世界を生きなければいけないのだろうか。

舞台では、ねじまきロボットのアルファーが友達のために力をふりしぼり、排外主義の権力者に立ち向かっている。子どもたちはアルファーを応援する。純粋だ。物語に没頭している。

いっぽう大人たちは? 突きつけられた現実に戸惑うだろう。現実世界で僕たちは、子どもにもわかる善悪の区別を見て見ぬふりして放置してきたんだ。

でもだからこそアルファーを応援しよう。舞台の上で力を失わないように、優しいあの子を助けられるように、そして現実の世界を少しだけ、変えるために。

これは子どもたち“だけ”の作品じゃない。この世界をまだまだ楽しく生きていこうとする、未来ある大人たちのための舞台でもある。

……なんて書くと小難しい作品だと思うかもしれない。心配ご無用。かわいく愉快な人形&出演者が、ところせましと舞台を駆けまわり、はじめて行った土地で新しい友達と出会い冒険する、そんなお話だ。

主人公・アルファー(縣梨恵)は明るく無垢な存在。動力である頭のネジを自分ではまわせないので、だれかを頼らないと生きていけない。だからこそアルファーはひとを100パーセント信じて生きている。

アルファーの友達・つぎはぎは、ブリキのロボットで歩くのがゆっくり。それがおかしくて子どもたちは大喜び。すべり知らず。

パペポ(石鉢もも子[ウェイビジョン]、Wキャストでかわむらはるな)はパステル王国のアイドル。パステル語は日本語だと別の意味にもなって笑いを誘う。意外と下ネタ?

パペポの応援隊長を自認するのがアラビック(寺元彩乃[capsule])。陰ながら応援する姿がかわいい。ふるえも最高(ぜひ観てほしい)。

パペポのマネージャーはマネマネ(高井ヒロシ。三島祐樹とのWキャスト)。子ども向けとして作られた本作にマネージャーという役があるのもすごく現代的。

権力者のスーツ大臣(立川佳吾。ほかキャストに小松悟、Hide-c.[C-Junction])はなんか見たことあるような気もするけど……。彼は子どものときに「アルファー」みたいな劇をもっと観てればよかったのにね(いまからでも遅くない?)。

お掃除係のドラパ(原田充子)はスーツ大臣の手下になるが、主義主張のなさというか、信念の底が抜けてる感じが、かえってフットワークを生み出して軽やか。

ドラパはじめサツホロに住むキャラは、クレヨンで塗り重ねたような彩色で、造形ふくめ美術としてもとてもいい(もちろんアルファーたちレギュラーメンバーもいい!)。

三島祐樹@ラバの音楽も心に残るし、すぐれた舞台というのはやはりトータルとしていいんだなあと実感した。

アルファーのシリーズは30作を越えているらしい(すごい!)。1本くらい完全に大人向けを打ち出して作っても、人気が出そうな気がする(僕は観てみたい)。

 

公演場所: 札幌文化芸術劇場hitaru クリエイティブスタジオ

公演期間:2019年2月6日~2月12日

初出:札幌演劇シーズン2019冬「ゲキカン!」

子どもが演じる子どもの為のお話 トランク機械シアター『レンタルおとうさん』

トランク機械シアター「レンタルおとうさん」をやまびこ座にて。再演だけど設定がかなり変わり別の話に近い。大筋は同じなんだけど、レンタルおとうさんを供給する側を変え、開発・普及させる理由を会社の製品としてだけではなく、開発側の家庭の事情も絡めて、複数の家庭の話にしたのが上手い。

子役の比重が増えて危うい感じになるかと思ったら、さすがに皆さん芸達者。まあ要所は大人が締めていたけど。話にあっていて大人でもやれる役を子どもがやったのではなく、子どものための役をしっかり演じていた。子どもにした意味がちゃんとある配役。

最後はこれまでのことを反省し、前へ進もうとする気持ちのよい終わり方。大人向けだと、元の木阿弥とか、ディストピア的な終わり方もありだよなと思ったけど、子どもが多く出ていて、子どもたちに観せようという話だから当然か。

  • 2018/06/03 11:00
  • やまびこ座

未来は素敵 トランク機械シアター『ねじまきロボットα〜ともだちのこえ〜』

※トランク機械シアター作品の印象について、詳しくはこちらの記事に書きました。
ここでは箇条書きにて失礼します。
 
 
○某ランドのキャストを連想する役者のなりきり感とホスピタリティがいつもながら素晴らしい。美術・音楽・照明も効果的で、子ども向けEテレ番組方向の作品として安定の仕上がり。気持ちよく見た。

○友達ロボット「つぎはぎ」の、いかにも重そうな足取りが目を引いた。実際には軽い人形ですよね? 使い手の上達を感じた。

○言葉が通じない異国人を排斥したがる権力者が登場。現実社会とリンクした作品づくりに好感を持った。上演地の名前をもじって物語中の地名を付けている点も、現実と作品とを関連付ける工夫と感じた。

○ストーリー展開が少し複雑になっており、追うのが難しい部分があった。追えずとも楽しく盛り上げてはいたが。

○「あいつは嘘つきだ」と言われて信じてしまう点は、説得力に欠けると感じた。子ども向けならこれでもいいのか。もう少し「あ、それなら騙されちゃう。ダメだよ、どうしよう」とハラハラするような理由はないのだろうか。

○悪役が悪い人として登場するが、これも子ども向けだとこうなるのだろうか。大きな悪事を行う人は、大抵はそれを善と信じている場合が多いように思うが。
(何が善で何が悪か、はおいといて)

○「いつかは友達になれるかも」という前向きなラストがとても良かった。今日はダメでも明日は素敵な未来が待っている。
ここに落とすように、言葉が通じなくても友達になれる(会話できる)・通じてもなれない(会話できない)という対比がスッキリ見える形でもいいように思った。
 
 
2017年11月1日19:30 こぐま座にて観劇

秀逸なシナリオと深いテーマ トランク機械シアター『ねじまきロボットα~ともだちのこえ~』

日本で一番古い歴史を誇る児童劇場、こぐま座をホームグラウンドとして活動するトランク機械シアターは、現役保育士と舞台役者がタッグを組んで人形劇をつくるという異色の劇団です。主宰で脚本・演出をこなす立川佳吾が2012年に旗揚げしました。TGR札幌劇場祭に初めてエントリーした2014年『ねじまきロボットα~僕が殿様!?』、翌2015年『ねじまきロボットα~ぼくのうまれたひ~』と2年連続して審査員賞を受賞、去年はオーディエンス賞に輝いたつわものです。僕は去年の大賞審査で初めて彼らの人形劇を観たのですが、その温かい世界観と丁寧な脚本、作品つくりの真摯さに感動しました。人形劇は子ども向けのものという既成概念を見事に打ち砕かれたのでした。

今年の『ねじまきロボットα~ともだちのこえ~』は、大人の言葉でリフレーズすると、現代社会に満ちている他者への不寛容さとコミュニティの分断を、人形という姿を借りて、人形に語らせる台詞を通して見事に描き切って魅せました。特筆すべきは、この脚本のクオリティです。わずか50分の劇中には、パステル族へのいわれなき偏見と差別、言葉狩りによる投獄、どこかの国の総理大臣を彷彿させるスーツ大臣という権力者による密告の推奨など、実社会顔負けの複層的な主題がいくつも織り込まれています。αは、言葉が通じなくてもパステル族の話していることが理解でき、ともだちになれます。人間社会もかくあるべきでしょう。劇の後半で、「偉い人の言うことは絶対なのです。黙って従っていればいいんです」とうそぶいていた絶対権力者のスーツ大臣は、実は小さい存在で影の力を使って自分を誇張して威張って、支配しようとしていたことが分かります。去年の作品でもそうでしたが、善と悪という単純な物語のつくり方をしないことが、トランク機械シアターの真骨頂です。矮小で弱々しい姿となったスーツ大臣は、退治されるのではなく、αのいる世界ではない何処へと去っていくのです。αは哀しそうに言うのです。「ともだちになれなかった」と。とても深いところまでテーマが彫り込まれていることに驚きました。どんなことがあったとしても、他者とつながれることの、他者を理解できることへの希望が、世間の垢にすっかり染まった僕の心の深いところを温かく触ってくれました。これだけの多くの、しかも複雑な感情の起伏を子どもたちは感じることができるのだろうか、と余計な詮索はやめましょう。この世界を少しでも良くしてくれるのは、結局のところ僕たちではなく、好奇心たっぷりにαたちの冒険を純粋に楽しめる子どもたちなのですから。

こぐま座の前でαを手に呼び込みをしたり(立川自身がしていました)、開演前の子どもたちの温め方も巧みです。こういう大人になりたいな、ととてもまぶしく、そしてうらやましく感じました。αたち人形(デザイン:チュウゲン、製作:中川有子)の造形も美しかったです。歴史あるこぐま座で、トランク機械シアターのような優れた人形劇が定期的に上演されているという、札幌の子どもたちを取り巻く文化の豊かさが、これから先も守られ、高められていくことを、かつて子どもであったいささか年を取りすぎた大人として強く願いたいと思います。観劇後、中島公園駅へ小走りに向かう小さな傘を打つ強い雨の音を聞きながら、僕はなぜか村上春樹の有名なエルサレム賞授賞式でのスピーチを思い出していました。

11/1(水) 19:30 札幌市こども人形劇場こぐま座

どちらかといえば大人向け? トランク機械シアター『ねじまきロボットα〜ともだちのこえ〜』

トランク機械シアター「ねじまきロボットα〜ともだちのこえ〜」をこぐま座にて。客席は超満員。最前列の子どもたちの相手を舞台上の役者陣がする様を眺めながらの開演待ち。始まった話は、大人も楽しめる子ども向けの話というよりは、子どもも楽しめる大人向け。ウルトラマンでいうとジャミラの回。
観光で来ている外国人がうるさいから排斥しようという話を、悪役がそのままやっている。あまりいないとは思うけど、おなじ考えを持っている人だと、かなり居心地が悪い作品。親子連れの場合、後で子どもたちに色々言われて大変そう。
出てくる問題は現実に繋がるようなものなので、結論はあるけど完全にめでたしめでたしにはなっていない。悪役はまだ反省はしていないし、αも友達になれなかったと嘆いている。明日に希望を持とうとしているけど。
大臣は最後に自分の作った法律で自分が酷い目にあうという展開かと思ったら違いました。あれで反省するかなぁ。優しくされればつけ上がりそうだし、酷い目にあえば恨み抱いてとんでもないことをしそうだし、と考えるのも楽しみのひとつ

  • 2017/11/05 14:00
  • こぐま座
  • 約1時間

大人になってなにを思うだろう/トランク機械シアター『ねじまきロボットα~ともだちのこえ~』

ねじまきロボットの「α(あるふぁー)」は旅に出て、「さつほろ」にたどりつく。その町では「パステル語」を話すアイドル「パペポ」が人気で、同じように「パステル語」を話す外国人観光客が大勢来ていた。しかし大臣はそのことをよく思わず、排除しようと動き出す……。

というけっこうストレートな風刺劇。現在の状況をガツンと提示して、楽しい人形劇を予想して観にいったら驚いた。いや、楽しい人形劇であることは間違いないのだけど、そのストレートさに、作り手の伝えたい気持ちを強く感じた。

人形を操る(同化する)出演陣がいい。明るく、楽しく、子どもたちにとって理想的なお兄さんお姉さんのようだった。また、人形の造形や装飾もすばらしく、特にお掃除ロボ「ドラパ」のさびてる感じが高ポイント。汚しがいい。

主人公「α(あるふぁー)」は、途中何度もねじが止まって動けなくなる。彼は他人にねじを巻いてもらわなければ生きていけない。だからどんな相手であっても信じる。他者への信頼と寛容さが、ひるがえって自分の生きる道だからだ(そういう打算を越えた信頼なのだけど)。

これから、言葉の違う観光客だけでなく、外国人の労働者も増えていくだろう。もしかしたら外国人に仕事が取られたり、外国人の犯罪がことさら喧伝されるかもしれない。そのとき、この劇を観ていた子どもたちが大人になって、なにを思うのだろう。恐れだろうか、憎しみだろうか。それとも、はるか子どものときに観た劇の、勇気ある主人公のことだろうか。

 

2017年11月2日19時30分~20時30分 こぐま座

わかりやすさを前面にトランク機械シアター『レンタルおとうさん』

トランク機械シアター「レンタルおとうさん」をやまびこ座にて。絵本というより積み木の中のような舞台。そこで展開されるのが、いい加減なお父さんの更生話(笑)。確かに子ども向けで、結末が同じだったとしても、大人向けだったらもっとダークな展開がありそう。内容的には、業田良家のロボットテーマの漫画を連想するものでした。ラストはお約束だけど、こうでなきゃ。
トランク機械シアターなのに人形が出ないと思ったら、立川さんが機械人形の役でした。便利な機械が暴走して……というのは定番の流れですが、理想的だけど拒否されていると語られるのが面白い。「少年の日の思い出」の非の打ち所がないという欠点みたい。
目的や各人物の背景などについては、皆まで語らずに材料の提示に留めて観客の想像に任せるというやり方は割と好みです。色々と深読みできそうな素材が出されていたような。二人組もコミカルな役に見えて、実は結構暗いバックグラウンドがありそう。
役者さんは、わかりやすさを強調した感じの話し方。子役の二人を含め好演でした。曽我さんは忘れたいのに〜との落差がすごかったけど。特に最終手段は子どもならでは(笑)。なかなか楽しめた公演だけど、同じような公演はまたやるのかな。二人組が新製品をモニターに出して失敗するというコメディシリーズとかならないかな。

  • 2017/08/19 18:00
  • やまびこ座
  • 約1時間

ペングアートの力に感謝 シアターZOOプロデュース 劇のたまご『ぐりぐりグリム~シンデレラ』

僕は斎藤歩という人が好きである。斎藤が世の中を演劇という視点で眺める物語の在り様が好きなのだ。不思議な人で、近づいてくると僕はいつも殺気を感じてしまう。寄らば斬るぞ、この野郎、的な。そして妙な色気をまとっている。苦労の時代も長かっただろうけれども、本当にいい役者だと思う。一生“役者バカ”を全うできることは間違いないだろう。師匠にあたる柄本明のように。戯曲家であり、演出家であり、音楽家(ユーフォニウムの名手)である斎藤が、子どもに向き合ったのが「劇のたまご」。初演は、当時3歳だった孫君の手を引いてZOOに向かった(演目はシンデレラではない)。「四宮さんにお孫さんがいらっしゃったんですね」的ではなく、小さな手を振る無垢な幼児に無言だったと思うけれど、とても柔らかい笑顔と眼差しを注いでくれた。あの時の斎藤の表情はとても僕の印象に残った。
札幌はこぐま座とやまびこ座があるように児童劇がとても盛んだ。特にこぐま座(札幌市立こども人形劇場こぐま座)は、日本初の公立人形劇場であることは意外と知られていないと思う。活躍著しい立川佳吾が主宰するトランク機械シアターはこぐま座をホームにしていて、オリジナルの本が紡ぐ独特の世界観と人形の造形が幅広いファンに支持されている。にもかかわらず、なぜ札幌座が子ども向けの芝居をつくるのか。初演を観ても僕の小さな疑問は消えずにいた。
僕の考え違いかもしれないけれど、卜部奈緒子さんが運営していらっしゃる発達障がいのある子どもたちにアートによる療育を行っている放課後デイサービスで、子どもたちが書いた絵(ペングアート)との出会いがとても素敵なケミストリーを起こしたのではないだろうか。地域社会の中にある演劇という表現の可能性や劇場の役割を感じずにはいられなかった。終演後、卜部さんと少し話す機会があったのだけれど、「自由に書かせてもらって嬉しかった」とおっしゃっていたことも僕の心に触れた。ペングアートの素晴らしい美術も特筆すべきものだ。
「シンデレラ」の物語は、多分、僕たちはディズニーの映画や本が最初のコンタクトポイントではないだろうか。潤沢な資金力で次々とM&Aを進めるディズニーは今や巨大なエンターテインメントカンパニーだけれども、実はアメリカの良心のようなものを世界に伝えるエヴァンジェリストでもあり、プロパガンダだったりする。キャラクターも人間でいえば人種の多様性やジェンダーフリー、LGBTに至るまで実に配慮されている。でも、「シンデレラ」は世界中に類似した物語があって、僕たちが一番知っているのがグリム版というわけだ。
原作に忠実につくられているのは、英語字幕を見ていても感じられた。主人公(熊木志保)が意地悪な姉たち(西田薫、櫻井幸絵)に「灰かぶり」と呼ばれていると嘆くところでは「Cinder Ella」と訳されていた。英語でcinderは燃えがら、灰なので正確に日本語訳すると「灰かぶりのエラ」ということになる。エラですって!鳩(横尾寛)が王子との仲を取り持つべく“エラ”を励ましたり、王子(櫻井ヒロ)が2度目に舞踏会に来た時に逃げられないように階段に糊を塗っておいた、といういかにも斎藤らしいスパイスは原作にあるものだけれど、原作の可笑しさを劇的世界に見事に引き出すことに成功している。人物がとても可愛いらしい。ミュージカル仕立てのところもあるのだけれど、熊木の声も美しく、音楽もする斎藤の面目躍如の楽しさだった。
敢えて書くのであれば、児童劇が、子どもに親がついていくものであるならが、「劇のたまご」は親子で一緒に観るお芝居なのかもしれない。こんなふうに思ってくれる子どもたちがいるかもしれない。あの世界の向こうに行ってみたい。舞台に立ってみたい。そして、物語を演じてみたい。そんな子どもたちが次の演劇シーンをつくっていってくれる。そんな夢を考えたりした。ちなみに、僕の孫君は、櫻井が演じる魔女がぐつぐつ煮え立った鍋に落ちるシーンがとても怖かったらしく、誘っても一緒に行ってくれなくなったけれど。

 

2019/08/21 15:00

hitaruクリエイティブスタジオ

札幌演劇シーズン2019-夏 シアターZOOプロデュース 劇のたまご『ぐりぐりグリム~シンデレラ』ゲキカン!から転載

疾走するセカイノオワリ 弦巻楽団『ワンダー☆ランド』

上演時間2時間超、人物50人超、シーン数40にもおよぶ大群像劇!初演はなんと、16年前。弦巻楽団を主宰する弦巻啓太が代表をしていたヒステリック・エンドの最終公演として上演した芝居だそうだ。安倍総理だのトランプ大統領だの2019年的アレンジはあるけれど、ほとんど台詞はさわっていない感じがあって、近頃使わなくなった言葉を使えば、めっちゃイケてる、ハチャメチャ、とってもやんちゃでキュートなお芝居だった。
札幌演劇シーズンの公式リフレットには上演時間2時間10分とある。僕は2時間と聞いただけでもげんなりする。嘘でもいいから1時間50分と書いてほしい。かなり覚悟して腹をくくって観に行ったのだけれど、劇のドライブ感にうまく乗せられて全然長くは感じなかった。27歳だった弦巻の劇作家としての才気を十分感じることができる。何より札幌の演劇シーンをひっぱっている実力派、個性派、曲者、そして新星たちがコンカリーニョの小屋に一堂に会しているのが実に快感!本あっての芝居だといつもは思うけれど、この芝居を当時の役者年齢を揃えても単なるドタバタに終わったかもしれない。人物の多さも大きな理由だと思うけれど、再演に16年必要だったのにはちゃんと理由があったのだ。凄い役者力にも注目!
ストリーラインは実にシンプルだ。「世界が終わる」話。この言葉だけでもかなりナラティブですよね。せかいのおわり、セカイノオワリ、SEKAI NO OWARI(この4ピースバンドは海外公演では、End of the Worldというバンド名を使っているそうです)。物語は結構なピースに分かれている。タイトルロールの17歳、白鳥ゼロ(d-sapでお世話になっています佐久間泉真。初演はトランク機械シアターの立川佳吾。どうもゼロ役は少しジュノン系美男子のようだ)が既婚18歳年上のお弁当売り(塚本奈緒美)に唐突に愛の告白をして結婚してくださいと食い下がる話。妻に愛想を尽かされ三行半を突き付けられた葬儀屋(遠藤洋平)が、妻(島田彩華)への執着が昂じて唐突に世界を終わらせようとする話。その葬儀屋のある商店街では祭の出し物として浦島太郎の芝居の稽古をしているのだけれど(この劇中劇は傑作!)、電気屋の夫婦(深浦祐太、木村愛香音)が借金で首が回らなくなって夜逃げ寸前だ。閑古鳥が鳴いているイケてないラーメン屋(田村嘉規)では宝くじが趣味の妻(塩谷舞)がなんと5,000万円を当ててしまった。やたら芝居を仕切っている演出のはんこ屋(長流3平)はとうとう本をほぼ改ざんした挙句、織姫役を自分でやっちゃって、制作担当の薬屋(柳田裕実)がブチ切れまくる話。白鳥のいる高校では、性欲が可視化されて女性がすべて下着姿に見えてしまう奇病(?)に取りつかれた実はおっぱい帝王の教師(村上義典)がいて、その帝王にお色気たっぷりの同僚教師(成田愛花。成田はすごかったです)が俄然アタックする。一方、女子高校生たち(相馬日奈、斉藤法華、吉井裕香)に陰湿ないじめを受けているイケてない教師(岩波岳洋)もいて、この話はシリアス。そして恋人のミキティ(鈴山あおい)を北朝鮮の工作員に拉致られたパンクなロッケンローラー(井上嵩之)の純愛話。この話は結構ひっぱります。祭の当日打ち上げられる特殊な燃料を積んだ有人ロケット(16年前の虚構が今やホリエモンが投資する大樹町の夢、インターステラーテクノロジズになっているのだから、演劇の遠視力や大したものなのだ)を取材しにきた熱血レポーター(池江蘭)とかなりユルいテレビクルー(温水元、高橋有紀子)は、くだんの拉致事件にからんでいく。必ず犯人が断崖で罪を告白する2時間ドラマのようだ。
これ以上、書くのはやめておくけれど、一つひとつのパッセージはどちらかといえば唐突なのだけれど、「だって世界が終わるんだから」という劇的暴力でつながって、ちゃんと撒かれた伏線を回収しながら、おお、そこにマージしますか!的にからみあって衝撃のラストまでエネルギッシュに疾走する。そう、疾走。疾走感がとても心地良い。ところどころ僕のイマジナリーラインに入ってくるけれど、読めていても面白い。
とても丁寧に台詞を書く劇作家だといつも弦巻のことは思っているけれど、原稿用紙に鉛筆で息継ぎもしないで次々書きまくり、直し、しまいには役者に口立てで台詞を言わせているような熱量がある。ハッピーエンドかバッドエンドなのかは観る人によって違うのだろうけれど、僕は希望というものを世界でどう定義するのかということだと思った。希望は僕たちを救うけれど、一方で裏切られ失望させられるものとしても常に僕たちのすぐそばにある。だから明日世界が終わるとして、今日僕たちはりんごの樹を植えたりするのかもしれない。このお芝居は、弦巻の演劇への愛がいっぱい詰まっていると思う。

話は変わるけれど、シーズンの最中、あいちトリエンナーレ2019で開催された「表現の不自由展・その後」事件があった。権力を持っている人たちが個人的な感想だかなんだか知らないけれど、日本民族への侮辱だ、冒涜だ、けしからんと言ってたった3日で中止に追い込まれた。芸術監督が津田大介だったこともあって二重の衝撃だった。システムの側からの口先介入で一旦レッテルを貼られると、反日だ、非国民だと煽り、ネトウヨが群がって、世論という見えない空気を恐怖で制圧する。この劇の中では、北朝鮮による拉致というリアルポリティクスや特定の企業・宗教名、さらに安倍-トランプの政治的友情への笑えるディスりも登場する。何気なく観てしまっているけれど、とても勇気のいることだと思った。
演劇は、芝居小屋は一番表現の自由が担保されていると、テレビなんかにいる僕は尊敬している。弦巻は普段「人生で一番の最高傑作は『ワンダー☆ランド』」と言っているそうだ。表現者の最高傑作は常に最新作である。最新作にして最高傑作。いいじゃないですか!

 

2019/08/14 19:00

コンカリーニョ

札幌演劇シーズン2019-夏 弦巻楽団『ワンダー☆ランド』ゲキカン!から転載

芝居と踊りと 北海道短編エンゲキ祭

北海道短編エンゲキ祭をコンカリーニョにて。約20分の短編演劇を各ブロック4団体+オープニングアクトという形式で上演するという企画。コメディ、ホラー調のもの、ダンスに特化したようなものなどバラエティに富んだラインナップで、色々と楽しめました。GW恒例行事で、毎年やってくれないかな。


劇団fireworks「明日、あの子に会いに行く」

オープニングアクトということで、上演時間の15分前から観客が入場する中での上演。40分のものを短縮したからかエッセンスが抽出されており、詩の朗読を聴いているような心地良さ。ダブルキャストもそれぞれ味があって面白かった。


ミュージカルユニットもえぎ色「地球ドレミファソラシド祭」

観客を巻き込んだパフォーマンス。宇宙人対地球人のパフォーマンス対決という設定で、最後は仲直りして全体でパフォーマンス。出演者の中の小さな男の子に目は釘付け。もう反則級の可愛らしさで全部持っていった感。


演劇ユニットわんわんズ「もじゃキング」

最初に出ているふたりの設定が面白い。ヒーローショーなどにある観客の協力を求める場面とかも、手慣れた感じで観客を巻き込んでくるあたりはシリーズものならではの強み。テレビシリーズの第1話みたいな話で、その後の展開をみたくなる。


Gパンチ「ツアー」

微妙な素材を扱っている話で、何年か前なら伊達さんのキャラとかは喋り方が違ったんだろうと思う。状況が二転三転して、最初ははしゃいでいた主人公が徐々に虚無的になって行くのが面白い。しかし伊達さん登場のインパクトはすごかったなぁ。


蘭越演劇実験室「グリーンティ或いは、4つめの軸に関する物語」

難しい話というのもあるけど、会話の途中で客席に向かってセリフと同じ内容を繰り返すのが、CM直後の繰り返しみたいに感じられてしまいイライラ。話が噛み合わないのに進む会話とか面白い作りだとは思うのだけど。


41×46「シャイネス」

内向的な人が飲み会での最初の乾杯用の一杯を注文するときの脳内会議。様々な葛藤がありますね(笑)。脳内キャラクターだけあって、それぞれわかりやすい性格をしていて面白い。他の状況だと、どんな話をしているんだろうと思ってしまう作り。


トランク機械シアター「R」

片方が実は…というような話かと思ったら、そうではないようにも見えるし。夫婦喧嘩をして、互いに絶対に直接話しかけず必ず子どもを通すというネタがドラマなんかであるけど、そのパターンなんだろか。間に入っているのが人形なのでなんとも不気味。


チーム絆花「絆花〜中山久蔵翁物語〜」

踊りを主体にやっている団体らしく、芝居部分は今ひとつだったけど、踊りの部分は一見の価値ありと思えるもの。芝居の部分を別チームでとも思ったけど、同じ人が踊っているからこその感動もあるし、なかなか難しいところ。


きっとろんどん「宅飲み」

面白かった!久保さんの不憫さ全開といった感じ。あと井上さんの棒読みは反則だと思う(笑)。飛ぶ時の案外ショボい音も印象に残った。翌日、職場で歩くときに、頭の中で「プシュー」という音が響いていたほど。短編集とかで再演してくれないかな。


演劇集団:森組「旭警部の苦悩」

登場人物の立場がどんどん変わっていくコメディ。自分が優位になると、途端に態度が変わり居丈高になるけど、立場がすぐに変わってしまうのでそのギャップで笑わせるという仕組み。まあ、容疑者は開き直りしか手がなかったりするのですけど(笑)


劇団かい「サロメ」

踊りがとにかく綺麗。踊りの報酬として首を望む話だから、踊りい一定以上のクオリティがあると説得力が増すなあというのが感想。エピソードは大雑把にしか知らないし、戯曲も知らないので、知った上で観たらまた違った感想を持てたかもしれないけど。


空間シアターアクセプ「青森カナブン」

旧家の調査に来た二人組が、不思議な力に囚われてという話。観ていてどんどん怖くなる。それもいつのまにか引き返すことができなくなっている怖さ。終わってから冒頭のシーンを思い出したけど、指を切るとやっぱりまずいのかなぁ。


劇団ひまわりユニットなちゅら「いえるは」

大人の雰囲気で始まったと思ったら、けっこうベタなコメディ。ピシッとしている人の思わぬ緩みは、なかなか指摘しにくいですよね。私もエアドゥのCAさんが同じ状況なのを発見した時はなにも言えませんでした(笑)。面白かった。


劇団ひまわりユニットあづき398「ジャガイモの実る星で」

なんとなくほんわかして面白い話。宇宙船から兵器まで全て童話めいた宇宙人がこの雰囲気の要因か。女性研究者が世間から認められず、屋上から飛び降りようとするという冒頭からは想像ができないハッピーエンドでした。

  • 2018/05/04 20:00, 05/05 14:00, 17:00, 05/06 14:00, 17:00
  • コンカリーニョ

【投稿まとめ】2017年11月上演作品より

1作品に対し複数のレポート投稿があったものをご紹介します。

2018年4月1日作成。追加された投稿は後日、こちらに反映されます

2017年11月

■トランク機械シアター『ねじまきロボットα〜ともだちのこえ〜』 1日(水)~5日(月)


■座・れら『アンネの日記』 2日(木)~5日(月)


■ぐりぐりグリム『おかしな森のヘンゼルとグレーテル』 3日(金)~5日(日)


■MAM『月ノツカイ』 7日(火)~10日(金)


■ NEXTAGE『ビバーク!』 8日(木)~16日(木)


■イレブンナイン ミャゴラ『やんなるくらい自己嫌悪』 9日(木)~12日(日)


■劇団words of hearts『アドルフの主治医』 9日(木)~12日(日)


■マイペース『ばかもののすべて』 11日(土)~13日(月)


■ニッポンの河川『大地をつかむ両足と物語』 17日(金)~19日(日)


■さっぽろ学生演劇祭『ブルー!ロマンス・ブルー!』 17日(金)~19日(日)


■劇団コヨーテ『路上ヨリ愛ヲ込メテ』 18日(土)~21日(火)


■劇団竹竹『マクベス』 22日(水)


■札幌ハムプロジェクト『象に釘』 22日(水)~26日(日)


■きっとろんどん『ミーアキャットピープル』 23日(木祝)~26日(日)


■弦巻楽団 ♯28 1/2『リチャード三世』 24日(金)~26日(日)


■総合学園ヒューマンアカデミー札幌校パフォーミングアーツカレッジ『ロミオとジュリエット』 25日(土)~26日(日)


■yhs『白浪っ!』 29日(水)~12月3日(日)


 
 
11月〜12月に実施されたTGR2017参加作品のまとめ↓

【企画】札幌観劇人の語り場 2017年度「記憶に残った作品」

作品が舞台上で輝くのは、ほんのひととき。
けれど観た人の心に強く長く刻まれる光があります。
2017年度の観劇を振り返り、記憶に残った1〜3作品を選んで語ってもらいました。

 
 

うめの選んだ1作品

マームとジプシー『あっこのはなし』 2017年8月、札幌市教育文化会館

昨年度、〈記憶に残った演劇〉と言われてすぐに思いついたのは、マームとジプシー『あっこのはなし』。
初めて観るマームとジプシーということで、気持ちが高揚しながら観た事を差し引いても、とても記憶に残っている。なんであんなに印象的だったのか? それは多分、主人公と同じ30代の自分の環境とか心情にピタッと共感できる作品だったからだと思う。

10代の時に夢中になって読んだ本が、いま読み返すと(面白いけど)そんなに入り込めない…という事があるように、その年代だからこそ特にクル作品というのがあると思う。で、まさに30代の私にとって「あれ、これ自分のことじゃない?」と錯覚するくらい印象に残る話だった。同じ30代でも、結婚して家庭に入った人や、上昇志向の女性には共感できる部分が少ないかもしれない。でも、通過儀礼を経験せずに年中行事ばかり。ある意味平穏、悪く言えば停滞。そんな人達(自分も含めてね)には、特に響くものがある話だったように感じる。多分10代・20代の頃に観ていたら、なんかダラダラした話だなと感じて終わると思うけど(笑)。
40代になって観たときは、どう感じるかな。そうそう、こんな気持ちだった、と懐かしく思い出せる作品になっていれば幸いですが。
感想記事はこちら
 

九十八坊(orb)の選んだ3作品

1. きっとろんどん『発光体』 2017年4月、BLOCH

「オカルト系サイエンスフィクション風サイココメディ」 と銘打った今作は井上版『IT』とでも云おうか。期間中に観た若手オリジナル公演の中では出色の作品。SFやサスペンス映画等を下敷きにした精度の高いあて書きに、個性の強い所属役者とレギュラーに近い客演陣が応える。旧友の姿をした侵略者の不気味さを身体パフォーマンス(ダンス)だけで表現しきるリンノスケさんや、等身大の主役・山科さんのセリフのトーンコントロールに感心。落とし処(エンディング)のモノローグ(山科)がノスタルジックで記憶に残った。

2. 劇団fireworks『沙羅双樹の花の色』 2017年9月、コンカリーニョ

木曽義仲陣営を主役に、義経・弁慶・静御前を敵方に配した今作は予想を上回るエンタメ性の高い歴史ファンタジーだった。儚さとカタルシス。こういう作品を札幌発で魅せてくれるのはタニケンさんくらいだと思っていた。端役までキャスト皆がしっかりと人物を背負って立っているからこそ、魅力ある舞台となっていた。作・演の米沢さん独特のふんわりとした感性を作品にきちんと反映し、さらに自らが主役(巴御前)として体現。型通りではない殺陣も印象的。

3. 劇団coyote『路上ヨリ愛ヲ込メテ』 2017年11月、BLOCH

常に現在進行形で挑み続ける亀井さんの最新作。表現者として心身を研ぎ澄ませ、作風は一見and時代をも彷彿とさせるが決して懐古や停滞ではない。抜き身のナイフをかざすのではなく、熱情を湛えながらも穏やかな愛を語る幅も見せる。ヒロインの脇田さんが、脇田さんとして亀井脚本を体現する。ロードムービーのようなエンディングの余韻は映像作品制作を経ての進化か。広く高評価を得て演劇シーズンでの再演を果たした『愛の顛末 boys be Sid and Nancy』より僕の中では上。こちらが最新作なので当然かも知れないが、それは必ずしも容易なことではない。TGR札幌劇場祭に毎回真正面から挑んでくる亀井さんだが、今作がファイナルに残らなかったのが色々な意味でとても残念だった。

※「記憶に残った作品」3作。期間中に観た作品すべてに順位をつけたのではなく、直感的に選びました。どれもリアルタイムで感想を投稿できなかった作品ですが、こうして記録にも残せる機会を得たことに感謝します。

 

小針幸弘の選んだ3作品

1.遊戯祭17<谷川俊太郎と僕>『平木トメ子の秘密のかいかん』 2017年4月、コンカリーニョ

大人と子どもの配役を敢えて逆にしたように見えたこと。辛い現実から逃げて子どもに帰りたい大人と、背伸びして早く大人になりたい子どもというのを想像しました。そしてクライマックスでの安田さんと井上さんのやりとり。弱音をはく大人と、それを受け止め励ます子どもという、本来あるべきとされる姿とは逆転したような場面だけど、すごく心に響いた。前田透演出×米沢春花脚本。
感想記事はこちら

2.弦巻楽団『ナイトスイミング』 2017年7月、サンピアザ劇場

前回観た時は、その年にあったセウォル号事件を連想してしまったけど、今回はその時の対応が非難されていた朴槿恵大統領が罷免された年。まあ関係ないんだろうけど、妙なつながりだなと勝手に感じています。凍った時間、過去の仲間からの問いかけ、仲間の死とそれを忘れていく世間など色々と考えたくなる要素があり、終演後に何か話したくなるお芝居。
感想記事はこちら

3.イレブンナイン『サクラダファミリー』 2018年1月、コンカリーニョ

全体を通して何度観ても面白かった。笑いという意味でも、感動という意味でも。大和田さん・廣瀬さんのコンビの爆発力がすごい。バイクに乗った感じで「兄の婚約者」に迫る場面では、二人の挨拶の異様さが効いていたのか、宮田さんのヘコヘコした感じの特に笑いを取りにいっているとは思えない挨拶がオチっぽく見えて、妙に面白く感じました。
感想記事はこちら

 

島崎町の選んだ3作品

1.イレブンナイン『あっちこっち佐藤さん』 2017年8月、かでる2・7

こんなに劇場が笑っている作品を観たことがない。すさまじい笑いの渦、大波。おぼれながら笑って楽しんでる感覚。はっきり言って異常なくらいだったと記憶している。役者・納谷真大の、エネルギー飽和状態の熱演もすごかった。
感想記事はこちら

2.トランク機械シアター『ねじまきロボットα~ともだちのこえ~』 2017年11月、こぐま座

子ども向け人形劇という枠におさまらない良作(そもそもそんな枠は不要だろう)。ファンタジーの物語に現代への批評もふくまれて、グサッと刺さった。1体1体の人形も個性的で、細部まで手がこみ、色彩もすばらしかった。
感想記事はこちら

3.余市紅志高校演劇部『おにぎり』 2018年1月、かでる2・7

4名という少ないキャスト、1時間という上演時間、なのに充実感があった。前半の笑いパート、後半のシリアスパートという構成もうまくさばけており、最後はしっかりテーマに落とした。主演の吉田侑樹(当時高校3年生)の演技も深く記憶に残った。
 

しのぴーの選んだ3作品

昨年度は、札幌演劇シーズン-2015冬-から引き続き「ゲキカン!」を担当させてもらい、また札幌劇場祭TGRでも一昨年に続いて大賞審査員をお引き受けしたこともあって、その他の観劇と合わせてかなりの数のお芝居を観た「豊作年」でした。個人的に印象に残った作品を3作品あげておきたいと思います。

1. 劇団竹竹(チュクチュク)『マクベス』 2017年11月、パトス

TGR2017で日韓演劇交流事業の一環としてソウルから来札した作品です。一昨年は、文化芸術都市として知られる光州から老舗劇団のカチノルが『お伽の棺』を上演し、TGR大賞作品賞を受賞しました。『マクベス』はTGR招待作品だったのですが、大賞にはエントリーしていませんでした。個人的には、エントリーしていたら、ぶっちぎりだっただろうと思います。個人的には2017年のナンバーワンでした。
数あるシェークスピア劇の中でも『マクベス』が一際魅力的な理由は、マクベス将軍が主君であるダンカン王を裏切ってキング・スレーヤー(王殺し)になったばかりか、猜疑心の余り親友であるバンクォーまで殺害してのけるのは、決してバーナムの森に棲む魔女たちの囁きに惑わされたわけでも、妻に唆されたからでもないということだと思います。マクベスは、手を血で汚すことを自ら選んだのです。そして選び取った運命に呪われて狂っていくさまが、悪しきものへ抗いようのない人間の本質的な脆さや弱さとして描かれることに劇的な醍醐味があるのでしょう。チュクチュクの『マクベス』は、マクベス将軍を演じたソン・ホンイル、マクベス夫人のイ・ジャギョンら俳優の優れた身体性が圧倒的でした。なにより、チュクチュクを主宰するキム・ナギョンの「これぞ演出!」という舞台を成立させているすべての要素への優れた解釈と極めて美しいプレゼンテーションで、キムのいう「荒野の屠殺場」で身を滅ぼすアジアのマクベスを提示して魅せました。一点、急ごしらえで用意したであろうパトスは、芝居のサイズに合っていなかったことが惜しまれました。ぜひ札幌の演劇人たちによって、このチュクチュク版『マクベス』が札幌で再演されることを強く希望したいと思います。
感想記事はこちら

2. マームとジプシー『ΛΛΛかえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──』 2017年8月、札幌市教育文化会館

今一番演劇界で注目を集める劇作家・演出家の一人、藤田貴大が主宰するマームとジプシー。去年の札幌国際芸術祭特別企画として、ようやく彼らの結成10周年ツアーでの札幌初上演が実現しました。藤田の故郷、伊達市を想起させる海沿いの街に暮らす姉、弟、妹の物語。人物の出入りの時間の経過はあえて曖昧で、父の死を電話で知るとか、実家が区画整理でなくなっていたという「点」以外は、これといった筋らしい展開もありません。台詞に感情の抑揚や色をつけない分、役者の発する言葉には必然的ともいえる精緻さがあり、立ち位置やしゃべりだしの微かな身体の向きにいたるまでのディテールが非常にナラティブで、シンプルな美術装置とも相まって、家族にまつわる痛みや喪失という記憶の底を静かに揺さぶられました。
藤田は台詞を本として書かず、役者に口立てで言葉を伝えていく作業の中で、いろいろなクリエイティブが決まっていく独特の創作スタイルだそうです。演劇では再現性というものが一切ありません。そこに立ち会う観客が違うことを含め、作家も俳優も「永遠に再演する」ことを繰り返しているのです。藤田が「リフレイン」と呼ぶ、同じシークエンスを別の角度から映像的ともいえる手法で見せる演出術や、モノローグと台詞のやりとりがシームレスに混在していることも魅力的でした。
「(生まれた)家を出る、あるいはそこへ戻っていく」というのが、藤田の一つのモチーフなのでしょう。タイトルにある『ΛΛΛ』は、ラムダラムダラムダと読めますが、壊されてなくなってしまったという藤田の祖母の家の屋根を表している表象のようにも感じます。台詞というよりも「言葉」(多分、藤田は台詞とは言わないと思います)の持つ複雑な意味性へのフォーカスと、印象的な音楽、抽象性の高い美術、美しい衣装とが極めて独創的にシンクロする様は、舞台が総合芸術であることを久々に思い出させてくれました。
「敢えて札幌を避けていた」と話していた藤田。この公演を機会に、ぜひツアーに札幌を組み込んで欲しいと思いました。多分、藤田は自分が生み出す言葉だけを信じていて、俳優はそれを舞台化するための駒というか、言葉を発する生きたチューブのように考えているのでしょう。その極めて明快な「肥大した僕」が、なぜより大きな普遍にたどりつくのか、その作家性に強く魅かれました。
感想記事はこちら

3. proto Paspoor『ある映画の話』 2017年12月、シアターZOO

プロト・パスプア、と読むそうです。クラアク芸術堂を主宰する劇作家・演出家の小佐部明広のユニットです。クラアク芸術堂のホームページでは、「純文学と身体と声をキーワードに舞台表現の可能性を模索し追求する実験グループ」とあります。2016年末に解散した劇団アトリエ時代から、小佐部は札幌演劇界の中で独特の立ち位置と作風で評価されてきましたが、今やりたいことを純化したような作品でした。この札幌観劇人の語り場の感想でも書いたのですが、『ある映画の話』はフランソワ・トリュフォーの「ある映画の物語」を下敷きにした物語だろうと思います。「ある映画の物語」は、撮影現場で起こった話、起こらなかった話を監督自らが語るというヌーベルバーグ時代の名作です。台詞が徐々に熱量を帯びてうねっていくのが良かったのですが、敢えて失敗することを確かめるような挑戦的な演出が魅力的でした。正直興行的な成功は見込めない作品だと思います。でも、なかなか札幌演劇界には珍しいストレートな現代劇で、小佐部らしいダークワールドが最後は広がります。うまく理解できたとは言えないし、それを感想として言葉で書くことも難しいのですが、芝居としてとても感じたのです。作家が発見した新しい「足場」のようなものを。飽くなき挑戦心を観ることができたのは収穫でした。3作品のうち2作は道外勢の作品でしたが、道内勢を代表してこの1作を挙げておきたいと思います。
感想記事はこちら

 

中脇まりやの選んだ3作品

1. 近代文学演舞『地獄変』  2017年7月、観音寺

櫻井幸絵(劇団千年王國)と平原慎太郎(OrganWorks)の共同演出作品。既存の小説・お寺というシチュエーション・コンテンポラリーダンスという異例な組み合わせが想像以上のものを見せてくれた。夏の暑さも相まって、あそこに作り出された空間を今すぐにでも思い出すことができる。
感想記事はこちら

2. intro『わたし-THE CASSETTE TAPE GIRLS DIARY-』 2017年8月、コンカリーニョ

太宰治作品のオマージュだと知ってオリジナルを読んでみて、こんな作品が太宰にはあったのかと驚いたものだった。”わたし”の日々繰り返される日常。多面的な”わたし”に自分を重ねたりして観た。人数の多さが迫力を増していた。

3. ニッポンの河川 『大地をつかむ両足と物語』 2018年11月、コンカリーニョ

こんなミニマムな演劇があるのかと驚いた。観ていて非常にわくわくした。カセットテープの音質はあまり劇場では聴けない。カセットの入れ替えで床を滑るカセットテープの様さえ楽しかった。もう一度、今度は野外で見たい。

※昨年度はNIN企画の”靴”も忘れられない作品になった。
マームとジプシー『みえるわ』はあたらしい表現を”目撃”した気分になった。川上未映子さんの文学にも驚きがあった。ハムプロジェクト『象に釘』はとてもすきなお話だった。違うキャストでまた観たい。

 

マサコさんの選んだ3作品

道外、道内から1作品ずつ。公演名は二文字なのは偶然です。

●道外作品
東京デスロック『再生』 2017年9月~10月、横浜・STスポット

集団自殺のために集まった人々が、大音量で流れるJポップに合わせて歌い踊って倒れてゆく…のを、3回繰り返すだけの舞台。登場人物の背景やなぜ自殺を決心したのかは一つも語られないけれど、否応にも「生きていくよりも死んだ方がマシ」と突きつけられる。一方で、役者の体力とモチベーションがすごい。札幌の劇団でやれるのなら、年齢層を考えてyhsか、客演入れてクラアクかボイジャーかな。

●道内作品
BLOCH PRESENTS 2018『電王』 2018年2月、札幌・BLOCH

作演出の井上悠介(きっとろんどん)の将棋LOVEや、本作でやりたいことはよく分かった。が、「何も考えずに観てほしい」という部分では物足りない。そこに到達するには、実際の電王戦を模した戦いや人物の心の動きなど、もう少し丁寧に落とし込むのが必要なのでは。個人的には、井上くんは「ギャグとか言わせて笑いを取る」という本や演出は必要ないと思う。さらに個人的には、アウチとミツルギの名前は「逆転裁判」からなんだろうな、と嬉しくなった。

 

瞑想子の選んだ3作品

1. 横浜ボートシアター『にごりえ』  2017年9月、レッドベリースタジオ

語り作品だが朗読とは全く違う。一語一語に表情があり、艶があり、ドラマティック。語り手の吉岡紗矢は娘義太夫ほか日本伝統の語り芸を何年も修業したとのこと。全身から発せられているかのような声が、主語が曖昧かつ滔々とつながっていく樋口一葉の原文を語りわけ、黙読では掴みがたい情景情感を立ち上げていく。すごい芸を観た(聞いた)満足感。

2. ネビル・トランター『Mathilde(マチルダ)』 2017年7月、やまびこ座

等身大の人形を用い、人間軽視の介護施設運営と老いや障がいの惨めさ、寝たきりの老女の中に燃える命とその記憶にある生の美しさ哀しさ、死の救いとその他者にとっての軽さなどを描いた作品。優しい祝福として訪れる死神の表現に心が揺さぶられた。人間が演じることでは描き難い世界。上演時間は50分だが、長尺作品よりも強く印象に残る。やまびこ座海外特別公演作品。
関連記事はこちら

3. 劇団清水企画『昼間談義 公園の柵、ぷらぷらと、花粉症の鳥、』 2017年7月、シアターZOO

ポストドラマ演劇を初めてみたこともあって、鮮烈だった。たぶん戯曲を読んだだけでは掴めない抽象的・幻想的なイメージが立ち上がっていた。物語をはぐらかし裏切って展開する世界の面白さ、声のリズムとトーンの美しさが記憶に残る。
感想記事はこちら

※マームとジプシー 10th Anniversary Tour 札幌公演の4作品も、その圧倒的な世界観と重さとで記憶に残る。が、マーム作品としては、私の中では2014年に伊達市で上演された『ΛΛΛ〜』がNO.1だ。
札幌作品としては弦巻楽団 × 信山プロデュース『サウンズ・オブ・サイレンシーズ』も捨てがたかった。道外ツアー前の1回きりの札幌公演とあって、いい緊張感での上演だった。信山プロデューサーに感謝。

 

やすみんの選んだ3作品

1. シアターコクーン・オンレパートリー2017『欲望という名の電車』 2017年12月、シアターコクーン
理由ぐだぐだ長いので別途

2. マム&ジプシー  『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──────』  2017年8月、札幌教育文化会館

藤田貴大氏の詩の中にとぷんと浸って彷徨っているような素敵な時間。劇全体が詩のような、劇を通して詩を体感する新鮮な時間だった。記憶に残るのは、「そっか」という一言のセリフ。複雑な心情が、「そっか」に凝縮された。「そっか」は優しい。「そっか」は哀しい。「そっか」は・・・。泣けた。
関連記事はこちら

3. ニッポンの河川 『大地をつかむ両足と物語』 2017年11月、コンカリーニョ

「役者が照明も小道具も全部やります、全天候どこでも演ります」、というガッツが記憶に残ることは確か。しかしそれだけにあらず。一見ハチャメチャだが、実は文章力ある脚本の面白さと、ブレない俳優陣の集中力あればこその唸らせる内容。起業家精神あふれる劇団。楽しい驚きだった。
感想記事はこちら

【特別寄稿】ある視点 ー私的俳優論ー  寄稿者:しのぴー

僕は9年間、スペシャルドラマのプロデューサーをやっていたのですが、2つのキャスティングを手がけていました。一つは、ドラマそのものと言える脚本を書いてくれる作家です。全国放送される地方局がつくるドラマなので、もちろん視聴率は取らなければなりません。だから、作品至上主義の立場を僕はとりません。でも、視聴率をとるためのテクニックを持っているシナリオライターとは2回しか一緒に仕事をしませんでした。実際は同じ人に2年続けて書いてもらったので、一人としかおつきあいしていないことになります。

何の知識もなく「業務命令」でドラマプロデューサーを押し付けられた僕は、テレビドラマが好きじゃなかったこともあって、勉強のために単館系で監督の作家性の強い映画、それと商業演劇から小劇場の芝居まで本当によく観ました。東京出張が多くなったからです。札幌-東京を年間100回搭乗、つまり50往復した年もあって、今は取り壊されてないのですが青山一丁目の角にある小さなビジネスホテルを定宿にして、夜は下北沢、新宿あたりに出没して、映画はオールナイトで結局ホテルに朝帰りということもありました。つまり、ほとんど会社というか、家にいなかったのです。

そうして出会った演劇の劇作家に、自分の書いたへなちょこ企画と原案を読んでもらって、興味を持ってくれた方と一緒に本をつくりました。意気投合して、タイミングが合わなかった方も少なくありません。モダンスイマーズの蓬莱竜太、ONEOR8の田村孝裕、そして天才だと思った“劇団、本谷有希子”の本谷。劇作家・演出家と一緒に本をつくる作業はとても苦しくて、時間もかかるものでしたが、僕にとって劇的世界へ深く潜る力、台詞の奥深さや、役者眼を養う上で大きな糧となりました。

さて、いよいよもう一つのキャスティングです。僕たちのドラマの場合は、作家が決まって一緒にシナリオ・ハンティングが終わった段階で、お互いに主役と主役回りのキャストイメージを出し合いました。もちろん、俳優さんのスケジュールNGになることは仕方ないのですが、主役はじめアタマ4番手くらいは、2番手候補も含めお互いに見事に一致することに毎回驚きました。役者の持つ匂いというのでしょうか、存在感というのでしょうか、そういう嗅覚はドラマをつくる度に磨かれていったような気がします。作家と役者がキャスティングできたら、その作品の8割はもう出来たも同然です。演出家は、残る2割の仕事で作品を100%以上、150%にも、200%にも膨らませる責任があります。演出家は孤独だなぁといつも思っていました。

随分と前説が長くなりました。僕はお芝居を基本「役者押し」で観ています。もちろん作品世界や、その世界を生み出している台詞(つまり本です)、舞台美術や照明・音響などトータルで演出が成立していなくてはならないのはもちろんですが、役者がいないと結局芝居は始まりません。演劇とは台詞のことだと僕は信じて疑いません。

じゃあ、役者とはなんでしょうか。僕は身体性そのものだと思います。そして、その生身の躰を投げ出してどう舞台に台詞を積んでみせるかが役者の力量だと、これも信じて疑いません。身体性ってなんだ、といわれると説明しにくいのですが、舞台を一瞬にして支配してしまう才能のことだと言えばいいでしょうか。努力して研鑽して身に付くものもあるのかもしれませんが、僕は天性のもの、役者として舞台に上がる人は、大なり小なり天賦の才があると僕は思うのです。

例を挙げましょう。プロデューサーをやっている頃、同じ時期に松たか子と寺島しのぶの舞台を観る機会に恵まれました。当時、松はテレビでピカピカの売れっ子女優でしたが、寺島はどちらかというとテレビ向きではなく(実は、デビューは芸術祭参加のテレビドラマで、役所広司の相手役を全裸シーンもある体当たりで演じました。この作品はこの年の芸祭大賞を受賞しました)、女優としては地味な感じだったのです。ですが、舞台になると立場は真逆でした。寺島には、舞台に現れた瞬間に劇を支配してしまう天性の風圧がありました。道具も大きく、舞台上でとても見栄えします。これは彼女が出演する映画でも強く感じられます。極めて華があるのです。松は由緒ある正統派の女優ですが、寺島のような華は感じられませんでした。

よく「役を演じるときに、役になりきるとか役が下りてくる」などと言う人がいますが、僕はそのようには思いません。役者にとって一番大切なことは、役を演じることでも、役になりきることでもありません。本と演出家の求める以上の想像力で、おのれの台詞をひとつひとつ、爪痕のように刻み、舞台に積んでいって、劇的世界が指し示す大きな何かを観客に提示することだと思うのです。これが、役者にとっての身体性に他ならないと僕は思います。

「TGR札幌劇場祭に俳優賞を」との議論は、劇場連絡会の中では早くからあったようです。極めて狭い札幌演劇界隈の人間模様を「忖度」してなかなか踏み切れなかったのだと想像します。今年の俳優賞の新設は、2年目の大賞審査員を務めた僕にとっても大変喜ばしく、役者さんたちにとっても待ちに待った賞だったのではないでしょうか。

劇団創立20周年のおめでたい節目で大賞を勝ち取ったyhs『白浪っ!』は、実にあっぱれな作品でした。演劇祭でエンターテインメント作が大賞をとるのは本当に難しいと思うからです。僕は私事あって事前審査会に参加していないので詳しい状況やニュアンスは知る由もないのですが、もしかしたら優秀賞を受賞したトランク機械シアター『ねじまきロボットα〜ともだちのこえ〜』(作・演出:立川佳吾)、座・れら『アンネの日記』(脚本:ハケット夫妻、潤色・演出:鈴木喜三夫)と僅差だったかもしれません。また、招聘作の韓国・劇団竹竹の『マクベス』が大賞にエントリーしていたら、結果は違っていたかもしれません。
作・演出の南参は、かなり悩んだと思うのですが、自分の持ち札をすべてさらしてストレート勝負に出たことが良かったと思います。極めて高い演出力で奇想天外な物語を、個性的な俳優陣を得て、文字通り縦横無尽にかぶいて魅せてくれました。

初めての俳優賞を受賞したyhsのプレーヤー、櫻井保一は、振れ幅の大きな持ち味と、役者としての引き出しの多さで以前から注目してきたのですが、持てる身体性をいかんなく発揮して、新境地かもしれませんが、主役の重責を見事に果たしました。櫻井の『白浪っ!』だったと思います。

もう一人の俳優賞は、MAM『父と暮らせば』(原作:井上ひさし、演出:増澤ノゾム)でヒロイン、美津江を熱演した髙橋海妃が受賞しました。原爆投下後の広島を舞台にした、幻影である父親との2人芝居。増澤の演出が精緻で出色なのですが、応えた髙橋は見事でした。ストロークの長い芝居の端正な佇まいといい、父親(ベテランの松橋勝巳も好演)と言い争う葛藤が溢れ出る台詞術といい、長台詞を吐き切る力量と感情の露出を巧みにコントロールしながら、芝居という時間軸を生き、エンディングでは自らの魂の再生へ実に印象的で味わい深く両手を伸ばして魅せました。札幌ではなかなか見ない女優さんだと思っていたら、活動の拠点は東京だと聞いて、妙に納得しました。僕自身、櫻井と髙橋の2人をイチオシしたので、新設された俳優賞が2人の役者に贈られたことは審査員冥利に尽きる思いでした。

今年のTGR札幌劇場祭は、去年と比べて豊作だったと個人的には思います。俳優で言えば(順不同)、優秀賞を受賞したトランク機械シアター『ねじまきロボットα〜ともだちのこえ〜』の原田充子、座・れら『アンネの日記』の早弓結菜の素材感、信山E紘希のペーター。特別賞を受賞したMAM『月ノツカイ』の遠藤洋平の屈折感、本間健太の芝居巧者ぶりがとても印象に残りました。大賞作の『白浪っ!』では、客演の深浦佑太の人物の立ち方が凛としていましたし、月光グリーンのテツヤは、yhsの創立メンバーだとは知りませんでしたが、あのタッパ、異様なメヂカラ。大したものです。入賞はなりませんでしたが、イレブンナイン ミャゴラ『やんなるくらい自己嫌悪』(作:納谷真大、演出:明逸人)では、若手の成長ぶりも好感しました。

個人的には、とっても扱いづらい女優を観るのが大好きです。知り合いのドラマプロデューサーが言うには、「この世で一番嫌いなもの。一に女優、二に女優、三、四がなくて五が女優」だそうです。実に同感。実際、ドラマをやっている時に、ある女優さんに土下座したこともあります。でも、やっぱり魅力的。男優もいいけれど、やっぱり女優がいないとつまらないですね。女優がいなかったら、多分、芝居なんか観に行かないと思います(笑)。
札幌にも、多くの魅力的な役者がたくさんいます。主役だけが役者ではありません。色気のある、老獪な脇がいてこそ芝居はより大きな熱量を放つもの。好きな役者を応援し、新しい役者を発見する。これも演劇の醍醐味だと思うのです。TGR札幌劇場祭の「俳優賞」が、札幌演劇人にとって、憧れの賞になるよう育てていって欲しいと思います。

【特別寄稿】TGRはジャンルを超えた劇場祭  寄稿者:立川佳吾

 
今回2017年のTGRで優秀賞をいただくことができました。
この場をお借りして、あらためてお客様、関係者の皆様ありがとうございました。

12年前TGRが始まったころは、ジャンルという分け方をすると「演劇」の作品に役者として出演をしていました。それがひょんなことから「人形劇」の作品を上演することになり、2012年のトランク機械シアター旗揚げの作品から「人形劇」でTGRの大賞にエントリーしてきました。

当時のお話を少しすると、演劇のジャンルから人形劇の作品を作る人はいなかったので、こぐま座を借りる段階からとても大変でした。
「本当に人形劇をやるんですか?こぐま座では演劇はだめですよ。」と言われてきたため、台本を2012年の3月段階で提出をし、保育士のメンバーが人形劇講座に参加をし3度ほどプレゼンをしてようやくこぐま座の利用の許可がおりました。
演劇と人形劇は違うもの。
作品を作る前に感じたことでした。

そして2012年の初演、「ねじまきロボットα」。

「なぜ人形劇だったのか?」「人形劇である意味は?」「これは演劇だ。」「演劇でやればよかったのではないか?」「役者にばかり目が行く。」
という意見を多数いただきました。

演劇からも、人形劇からも、ダメだと言われたような気がしました。

やっぱり人形劇は無理なのか。と思ったりもしましたが、子どもたちから「また来年も見に来るね」という言葉と、「出演していた人形の絵」が届きました。
なにかは届いていたのかもしれない、と思えました。
そしてその年「またやるから待っててね。」 という約束が成されて、「ねじまきロボットα」のシリーズはいまも大賞エントリーを続けています。

トランク機械シアターが作品を作る上でこの時から「ジャンル」に縛られるのはやめようと思いました。
目の前のお客様に楽しんでもらうということに、改めて気づかせてもらえました。
そして会場に入ってから帰るまで。いろいろな楽しいが詰まってる場所にしようと考えるようにしました。
そして「ジャンル」で分けられてしまうなら、トランク機械シアターの作品が「新しいジャンル」になろうと考えました。
 

 
「ジャンル」でいうと、TGRは演劇・人形劇・オペラ・お笑い・伝統芸・大道芸などなど、札幌の対象の劇場で行っていて、劇場の推薦があればどんなジャンルでもエントリー可能という、異種格闘技戦が前提のお祭り「劇場祭」です。
こんな異種格闘技戦の審査基準はどこにもないだろうし、どこでもやっていない。
審査員は毎年頭を抱えるでしょう。基準があるとしたら審査員ひとりひとりの中にある面白いの基準。それがその年に一番面白いと思ったもの!としか言いようがない。

それぞれに面白いはあるし、その時の審査員の面白いなんて分からないし、審査員全員が同じものを面白いと思う感性ではない。
でもそれは、通常に公演を行った時、誰が観に来るかわからないお客様と同じだと思います。
だから、誰かには自分たちの面白いは響くかもしれないし、全然響かないかもしれない。
ずっと同じ審査員なら、面白いの方向性が分かるかもしれないけど、審査員は公募もあったりで3年で交代する。
だからどんなに賞が欲しかろうと、自分たちの作品を上演することには変わらないのです。

じゃあ、エントリーしなくてもいいか。と思ってしまうかもしれないけれど、それはとてももったいない。だって審査員は絶対に観に来てくれるんですから。

「ジャンル」というものの怖さは、人形劇だと「人形劇は子どもむけなんでしょ?」というようなイメージがあり、大人の人だけでなかなか観に来ないという戦いがあるということ。
審査員の中で人形劇だったら自分では観に来なかったかもしれないと教えてくれた方もいました。
TGRの大賞・新人賞にエントリーすることで、通常に公演をしていただけでは出会うことがなかった人に観てもらえるというのはとても価値があると思います。
最近TGRには参加するけれど、大賞にはエントリーしないという作品が増えていますがとてももったいないと思います。
新しい人に観てもらうチャンス。
確実に審査員の7名は観てくれるんです。これはすごくお得だと思います。
 

 
今回賞が新設されたり、各賞が変わったりしましたが、これにより「作品」や「団体」の見本市的な要素が増えたのではないかと思いました。
今後はもっとジャンルにとらわれず、審査員の方々がそれぞれに面白いと思った作品が紹介されていくことを期待します。
面白いの価値基準が全然違う審査員がそれぞれ、「私はこの作品がとても面白い」という主張がされていくことで、ジャンルが違うからいままで興味を持っていなかった人たちの目にとまり「作品」や「団体」が観てもらえるようになっていけばいいなと思います。

作り手側は色々な「ジャンル」から作品を応募して大賞に新人賞にエントリーする。
少なくとも3年はエントリーして自分たちの作品を観てもらうことで、審査員にたくさん困ってもらいましょう。
そして審査員の3年の任期が終わった後、自分たちのファンになって自分の意思で公演に来てくれるくらい面白いと思われ続けるよう、作品を上演し続けていきましょう。

TGR2018もどうぞよろしくお願いいたします。

トランク機械シアターのページはこちら

寄稿者:立川佳吾
トランク機械シアター代表 脚本・演出・役者・ナレーター
※トランク機械シアター本公演vol.7『ねじまきロボットα~ともだちのこえ~』 TGR札幌劇場祭2017 優秀賞を受賞

夏の夜の絵本。─遊戯祭17『平木トメ子の秘密のかいかん』

米沢さんの織りなす物語にはどこかしら絵本的な優しい縁取りをいつも感じているのですが、それを“あの”ボイジャーの前田さんが料理してしまうのだから、これは“猥雑な絵本”とでもいおうか。fireworksさんの持ち味でもある生演奏と歌は、いつもより電子楽器多めの編成で夏祭り感。地方の狭いコミュニティが舞台で、夏の匂いや、会館がひとつしかない町、という設定がよくて、猥雑さも含めて山田太一や倉本聰作品の(地方初ドラマの)ような“土地の匂い”も感じられた。

続きを読む