「札幌演劇界に対して『札幌観劇界』というものがあるのではないか」と言ったのは、九十八坊(orb)さんでした。 劇場に頻繁に現れる人たちがなんとなく形成しているものを、実にうまく捉えた言葉です。
『札幌観劇人の語り場』は、舞台にはけして上がらない観劇界の人たちが、作品の感想などを自由に発信するためのプラットフォームとして構想されました。舞台人は書き手として参加することのない、また舞台人の目を気にせず発信することが推奨されている、いわば『観劇人のための遊び場』です。
2016年度の終わり頃、ふと気が付けば、長年に渡って数名の方がなんとなく担ってきたところの「札幌演劇を継続的に観て記録し、感想・意見などと共に発信する」という役割が、手薄になっている状況がありました。
現在の社会状況においては、一人の人間が、数多上演される札幌の演劇作品のメインストリームだけでも継続的に見続けることは、時間的にも経済的にも困難です。ましてや、観たと思ったものを素直に書いて発信するとなると、精神的にも大きな負担となります。
けれど、一人では担えなくとも、それなりの数を観劇してブログやSNSで感想を発信している人たちが一つのプラッ トフォームに集まれば、暫定的であってもなんらかの役割を担えるのではないか。また同時に、一つの作品には多様な見方があることも示せるのではないか。
劇場の客席でよくお会いする方々にこの構想を投げかけてみたところ、強い賛同を得ることができました。頻繁に客席に座っている人たちは、札幌の演劇作品や演劇文化というものについて、それぞれなんらかの危機感を抱いていました。
「演劇には息の長い目撃者、あるいは伴走者が必要だ」と言った人がいました。「励ましや賞賛だけでなく、時には小言も述べることができる場所がほしかった」と。
「札幌演劇全体の構想のためにも、観客の印象や感想はアーカイブされてしかるべき」と言った人もいました。
「若い『観劇人』を育てるべきだ」と言った人もいました。
「演劇は予め内容のわかる情報が少ないし、きちんと書かれた感想も少ない」と言った人もいました。
さて、こうして私たちはサイト『札幌観劇人の語り場』を立ち上げるに至りました。けれど、それぞれの狙いは完全に一致しているわけではないのです。「観たと思うものを正直に書いて発信する」ということについても、程度については考えが違います。発信の動機や「誰に向かって書くか」も異なります。
私たちは札幌の観劇人であり、価値観は違えどそれぞれの生活に支障のない範囲内で札幌演劇というものに向き合おうとしている、共通しているのはただそれだけなのです。
『札幌観劇人の語り場』では、あえて共通の目的を掲げていません。このサイトでの活動がどんな方向に向かっていくのか、それは参加メンバーそれぞれの愛や志に基づく行動の蓄積によって、見えてくるのではないかと思います。
「このサイトについて」に書かれている通り、これは実験的な試みです。活動の継続から、思いも寄らぬ発展的な変化をすることがあるかもしれません。逆に、ここでの遊びが思ったほどに楽しくなければ、あるいは思った以上の負担を感じるようであれば、ある日、突然やめてしまうこともあるかもしれません。または、このような試みに価値を見出した誰かが、別のところによりよいものを創り上げたときに。
2017.5.1
『札幌観劇人の語り場』の諸事調整役
瞑想子